家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

施主施工は家事

 この頃のお父さんの脳内は、薪ストーブ等よりも他の事で一杯。

 さて、下の写真、何をしているか分かるだろうか。はい、正解、黒のゴムを切っているのだ。では、何故こんな事をしているのか。これが分かったら、果たしてどういう成長をしたのか、驚きだ。

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 答えは、装弾を自分で詰める為の材料を作っている所。

 日本国民が合法に「個人」所持出来る銃は、大別するとライフル銃と散弾銃、そしてお父さんが所持している半ライフル銃。ちなみに、自衛官等の公僕の方の所持は個人所持ではない。そもそも所持でもないが。有害鳥獣駆除の事業化を目指した法律が最近出来たり、どこかの組織には麻酔銃が合法常備されていたりを聞いた事があるが、従事者の所持許可は法人では無くやはり個人に与えられているもの、だったかと記憶している。

 

 読んで字の如く弾を散らばせる散弾銃の弾は、高くはないし精度云々を問うものでない。なので、日本銃社会内にて自分で手詰めされる方は極稀のようだ。

 一方、今はそうでも無くなって来ていると聞くが、ライフル銃は工場製装弾よりも自身で詰める方が精度が良かったりするらしい。ライフル装弾は、弾頭に樹脂が施されている物があるものの全部金属。構造もシンプルで選択肢が多い。等々から、自分で手詰めをして性能のコントロールを比較的し易いそうだ。さらに、そもそもライフル銃は銃身が肉厚な上、ライフリングがガッツリ刻まれている。勿論銃種や射手にもよるが、精度、威力、射程共に優秀。

 

 お父さんは所持する銃種はライフル銃に劣る。銃身肉厚が薄いのは仕様だから仕方が無いが、弾頭に回転を与える大事なライフリングを半分削れという島国ビックリ法は未だ納得行かない。せめて、引き金だけは一般的ライフルに負けず劣らずの物を選定した。

 だが、これまたどうしようも無いのが装弾仕様。ライフル銃と違って、金属だけでなくプラスチック部が多い。必要部材点数も多く、それらもプラスチック等。そして、以前にも書いたと思うが、何より一番哀しいのがとても高額だという事。その高額弾しか使用出来ない銃。練習しようにもおいそれと出来ない。よって、自分で手詰めしている所持者の割合はそれなりにあると想像する。統計があるわけでないから想像。

 他にもあるが省略するとして、この高額な点からもお父さんのような銃を推奨しない先達ばかり。しかし、お父さんはこの一発必中銃が何より良く、銃所持の譲れぬ動機。なので、先達の助言を振り解きつつ、弾を自作する事で問題解決しようと奮迅中。

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 これ、施主施工に至った経緯と似てるなぁ。ただ、必要な施主施工と違うのは、人生初めての不必要な趣味と言えるものなのだ。

 数十m、何なら100m以上先の対象物に対して、思った通りの所へ弾丸を飛ばす。ただこれだけの事を、既製装弾精度を越えられない通説がある自己装弾にて実現を目指す。その為、時には米国からお父さん英語を駆使して物品の発送交渉をする。時には、巷に売っていない程のコンマ数㎜の薄ゴムを専門店から取り寄せ、それを黙々とハサミでチョキリ。時には、ガスマスクを装着して鉛を溶かして鋳型に流し込む。一発数百円を浮かす為、一発当り15分以上は掛けているかもしれない。時給換算したら赤字。

 他にも、罠猟を来期は計画、罠も自作するつもり。自作罠で美味しいから人気のイノシシ、自作装弾で美味しいのに不人気なシカを獲る。これで少しでも家計貢献をしたいものの、獲れるようになっても黒字になるかは甚だ怪しい。

 

 ところで、「趣味」とは一体何なのだろう。初めてという事もあって考えてしまう。

 自己の悦の為に利益等を鑑みずに行う事、と定義出来るだろうか。ジョギングを趣味だという方は、ジム等の有料サービスを使わず健康維持と言う金銭に代え難い自己利益を得る。金銭利益が得られないし快楽物質もあるから趣味っぽい。だが、厳密に言うと趣味ではなく心身の自己管理という努めかな。

 

 趣味の対義語と思える「仕事」だと、他者や社会に利益をもたらしその対価を得る、となるだろうか。

 職種の中でも、例えば証券会社内で金融商品を自己勘定で取引している従事者はどうだろう。取次でなく自社資金を増やす為に取引している行為自体は、社会に直接利益をもたらしているとは言い難い。だが、その利益は株主や同僚等の収入になると見ると、お父さんはやはりれっきとした仕事、職業だと思う。一方、個人が自己や同家計下にある家族の為に行っているのならば、これは稼ぐ生業、稼業と言えても仕事とは言えない。社会通念上でも認められないが。

 

 また、この定義で考えるとボランティアは趣味とは言えない。活動者自身は趣味と思っていても何かの役に立っている。一方、お父さんの里山保全活動は、地域等への貢献をしつつも薪という現物報酬を得ている。なので、自由出勤の仕事という意識がある。

 だが、経費が報酬を上回るとやはりボランティアだろう。お父さんに限らず、法人登記して営業している企業がいくら社会等に役立っていても、赤字を垂れ流しているならばそれはもうボランティアだと思う。現物報酬が減ったり無くなると他に薪を求めなければいけず、当地の活動は辞めざるを得ないかもしれない。

 

 ならば、我が家の施主施工は何に該当するか。目的は自己と家族の為。やりたいからではなく、やらないといけないからしている。これに利益が生じているのか。利益とは金銭の数字だけで見ない。ここで言うならば、節約金額と経費に見合った時間効率、そして得る施工品質と価値も考慮しないといけない。さすれば赤字、不採算事業。

 という事なら施主施工はもう家事だ。家事代行業に頼むと時間節約と高品質サービスを受けられるが、お金が掛かるから自分でお手盛り家事をするのと同じ。炊事洗濯、掃除に施工、だ。世間の家主自身が、軒樋の不具合を手直ししたり棚を設けたりするのと同様。

 ただ、難度と規模と所要時間が大きいだけ。そう、我が家にとって施主施工は最早日常。日常なので、息の長い取り組みが必要。その事から休息を取るようになっていたが、今後は趣味にも取り組んでいく。

 

 射撃練習する以前、今は弾詰め研究真っ盛り。米国では広大な私有地かだと自由に射撃が出来たりするようだが、日本では実質射撃場のみ。数時間と数千円掛けて発射データーを取りに行き、それを反映させた内容の弾をまた撃ちに行く。施主施工でも色々実験や検証等をして来た。だが、度々書いたが、趣味と言われる事には違和感がある。家事に勤しんでいても趣味だとは言われないのに。

 一方、この手間暇掛けた銃所持や弾作りについて、性に合っていて好きそうだ、と友人に言われた。これには全く違和感無し。その友人はお父さんの事を理解してくれていると感じる。そう、繰り返すが人生初の趣味なのだ。

 

 幼き二人は、何故お父さんは施工をほっぽらかして、何時間も作業場に籠っていたり鉄砲を担いでどっか行ったりしているのか、と思っていたかもしれない。長々と書いたが要は、当時の事は大目に見て欲しいというお願い。