家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

警察コワイコワイ病

 ここでかなり派生した長話をさせてもらう。日頃の生活でなかなか感じないかもしれない話を。

 

 銃砲の学科合格と言っても、運転免許証等のような類では無い。何が大きく違うのかと言うとお父さんの感覚では、前者は後者と違って厳格に粛々と運用されている制度ではない。銃砲の法律である銃刀法の運用は、日本は法治国家では無く人治国家、はたまた警察国家なのか、と思わされる状況。きっと大袈裟ではない。

 

 日本の治安が比較的良いのは、豊臣秀吉の刀狩等によって、武器所持を厳しく制限してきたお蔭である。これ、本気で警察や多くの国民は思っているように見受けられるが、大間違いだとお父さんは思う。どちらかと言うとお父さんは少数派になる事が多く寂しいが、それでもそう思わざるを得ない。

 

  豊臣時代の刀狩以降で戦乱の世が完全に終わった江戸時代なのに、農民による鉄砲所持数は戦国時代より多かったという事が、九州の藩による第一次資料にて明白だそうだ。

 要因の一つは、農村においての自警の為の道具。これは武器としてだな。但し、支配層に向けないという暗黙の約束が、特に江戸中期頃までは守られていたそうだ。中世の警察力では農村の治安までは守れず、盗賊等の外敵に対抗する物が必要だったんだろうな。そしてもう一つは害獣対策。説明不要、これは武器ではなく農具の一種だ。

 これらの目的の為の銃砲を取り上げて困るのは、農民だけでなく支配層の武士もである。学校の歴史の教科書を信じて何となく思っている事柄だが、実際は柔軟な運用がされていた生々しい現実があるとの事。江戸時代ほど遡らなくともつい数十年前の昭和時代でも、都市部の富裕層とかだけでなく山村等の人達は結構所持されていたそうだ。タンパク源や収入を得る為、それに農作物を守る為にだな。余暇の意味合いもあったかもしれんし。パチンコするより余程経済的で健康的だな。

 

 が、警察官僚は何をとち狂ったのか、銃砲所持者が問題を起こすとその他善良な所持者にも、法の範囲内外関わらず厳しく対処していく。もう十把一絡げだ。都市部に人が流れて、銃砲を目にする事もなければ頼る事もなくなり、ただの武器にしか映らない銃やその所持者が危険視されるようになる。その風潮を受けてか、はたまたその風潮を造るマスメディアは、銃砲事件が起きると銃砲自体を悪とし警察叩きもする。世論を受けて警察はさらに厳しくする、そんな悪循環。そして、世論と警察権力を前にして沈黙するしかない所持者達、みたいな。

 「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ。」とは、全米ライフル協会の常套句らしい。しかし、まさにそうだと思う。人を殺傷したい輩は、目の前に銃砲があるからするのではない。トラックで歩行者天国に突っ込む奴もいた。無差別殺傷目的ならトラックは効果的かつ効率的だ。こういう事件だと犯人個人の異常性は論じても、マスコミも一般市民も運転免許を交付した警察を批判しないし、トラック自体を規制しようとは考えない。

 

 兎も角、警察の銃刀法運用には違和感満載。全国適用である法律なのに、条例かの如く都道府県によって運用の違いもある。所轄や担当官によっても運用が違うらしい。だから、人治国家かと思わされるのだ。学校では日本は法治国家と習ったが、刀狩同様、事実では無い面がある。あぁ、萎える。

 このような運用下で、特に全国的にも厳しいと名高い大阪府警察管轄内居住者のお父さんが、もう一度学科試験を受けようとは思えない。勉強し直す労力を惜しんでではなく、満点を取っても資格マニア等と見なされたりして今度は落とされる可能性を考えたからだ。現に、合格後すぐに所持に動かなかった事を突つかれた。合格の勢いのまま所持に動く人よりも、数年間温めても気が変わらないお父さんの方がヤル気満々、とは捉えない。

 

 本当は期限まで1年程余裕があり、施工の事があるのでまだ後回しに出来ないかとも考えた。だが、大阪府警の法運用方針に不安が事前にあった為、中塗仕上げ左官中には動き出していた。また、これを契機にナイフ購入にも踏み切ったのだ。

  実際、所持許可までに半年弱を要した。行政手続法の定めた標準処理期間によると最短2ヶ月程で許可を得ていたはずだ。しかし、大阪府警は言う、それはあくまで標準であり目安の法律だと。申請した銃種は合法だけど特殊。よって、大阪府警の見解は脱法的銃種だと言う。ならば、行政手続法への認識も脱法的でんがな。

 それ以外にも、お父さんにでも分かる違法性、違法ではないがそこまで言うか、といった言動は複数。だが、真向反論はとてもしづらい。相手は完全無敵の許可権者。さらに、本気を出せばでっち上げた罪で逮捕権行使をした実例がある組織。冤罪なのに虚偽自白をさせられる方の気持ちが少し分かった気がした。少なくとも銃刀法下では警察国家かと思わされたのだ。あぁ、コワイ。

 

 誤解をしないで欲しいが、銃砲所持や運用に対して警察が厳しい事自体は悪いとは思わない。それに、違法や違法紛いや、人権等無視紛いの言動等を所轄担当官の方が発する事は、彼ら許可権者の立場を鑑みると理解は出来る。職務とは言え何ら得にもならんのに許可を出し、問題があると責任を問われるのだし。それに、お父さんの現在の所轄担当官は、強権的で無く社会人として真っ当で、所持への理解は当初からあり、また無理難題を押付けない方だと感じるし。

 まぁ、やはり言っても鉄砲だ。危険だ。自動車や包丁やチェンソーと同様に、便利だけど気を付けないといけない危険な道具。寧ろ、警察や市民の目が厳しい分、他の道具よりも安全使用への意識が高まって良い。

 

 但しだ。第三者が道端で喧嘩をしていても仲裁には入らないと思う。目の前で子供が泣き喚きながら車に乗せられた状況を不審に思っても、通報するだけかもしれない。鉄砲携帯中に猟師でも身内でも無い人が熊に襲われているのを目撃しても、助けずに声援だけ贈るかもしれない。

 それは、何を理由に許可取消になったり自身が検挙されたりするか分からないから。江戸時代の無罪放免をするかもしれない代官や奉行と違い、平成時代は人助けをしたお父さんを逮捕する恐れを強く感じさせる警察が法の番人をしている。だからきっと躊躇する。

 

 それ程に銃刀法が未整備、若しくは非現実的と感じ、またそれを恣意的運用の実績が多い警察を信じ難い心況。刀狩の文句からしてそもそも警察が、武器を持たせたら危ない民衆だとして国民を信じていない、と言っているようなもんだ。治安が良いのは、銃規制ではない他の要素が大きく寄与しているし、自分達の力にも依るのに何言ってんだか。

 海外派遣された自衛隊の司令官の方が、部下や警護対象者、それに目の前で一般現地民に危険が及べば、辞職や逮捕覚悟で戦闘を行う心積もりをしていた旨の内容を目にした事がある。自衛隊法と銃刀法、自衛官幹部と駆け出し狩猟家。一緒にする事は無茶苦茶で申し訳ないが、法律と政治に振り回されても現実的責務を全うしようとするその現場司令官を尊敬して止まない。