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家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

お金は必須、の思い込み?

 五つの「き」と書きながら四つしかない。一つ忘れたのよねぇ。忘れるぐらいだから大した話じゃないんだろうなぁ。もしかして、その忘れた「き」は「金銭」とか思っただろうか。

 

 これは施主施工に必須かと言われればそりゃそうだ。材料買いにガソリン代はいるわ、電動工具を動かすには電気代がいるわ、左官するのには上水代だけでなく下水代まで取られるわ。何なら、お父さんのエネルギー源の握り飯にもお金がいる。ただ、本職施工の場合は施主支給になる電気や水や、施主施工に関わらず必要なガソリンや米等を一々勘案しても仕方がない。

 そうは言っても、建材や道具を買うために金銭がいるじゃないか、という話になるかもしれない。勿論そうだ。しかし、一概にそうとは言えない感覚がある、この家のような場合だと。

 

 木材や左官材、それに石材。これらは解体材から使い回せる物がそこそこある。ここまでは本施工では普通。ここからさらにやる気があると、他の施工現場や解体現場で建材を貰ってくる事が出来そうに思う。以前にも書いたが、平成の世は伝統構法家屋は解体の一途。それでも保護してきた現所有者があの世に行けば、お父さん世代であろう相続人は売るか壊すか自然倒壊させるか。

 この近辺にもあの街中にも、タダで引き取られる可能性は幸か不幸かある。もし解体業者の下っ端金髪野郎が嫌な顔をしてもそれに耐えれば、例えば古瓦も手に入る。新建材ばかりの在来工法よりは、この家だと貰い物の建材が流用しやすいと思う。

 

 道具にしてもそうだ。しっかりした仕事をしようと思うのなら厳しいが、そうではない場合は金銭に頼らない方法があるのではないか。おやつ代程度の古道具を購入し、後は時間をかけて自分で仕込み直したり修理したり。それが出来れば、その道具を使う腕も向上しやすいのではないか。

 さらに金銭を使わないとなると無償で手にする方法があるかもしれない。施主施工者は、その施工を終えるといくつかの道具は持て余すかもしれない。それを無償で譲っていただく、若しくは借りるのだ。勿論、手弁当で施工の手伝いを大いにするのだ。さすれば勉強にもなるし仲間も出来る。そういう人がいれば、応援の意味でもお父さんは受け入れると思うのだ。

 

 人工提供の逆に、お金をあまり、或いは全く使わず人工を手にする方法もある。施工を体験させてあげる、手伝わせてあげるのだな。これを実行している施主は結構見受けられ、お父さんも何人かから勧められた事がある。

 これを単純には行えない。募集する側である施主の手間暇も要する。しかし、その労力や時間以上の金銭の節約が出来るかもしれない。考えてもみなさい、お父さんは会った事が無い人の現場へ1人工分程の手伝いをしに、本職の1人工代以上の費用を自腹で負担して赴いたのだ。それだけの価値を感じたからであり、飲食をご馳走になったのは却って恐縮したぐらいだ。お金の価値と言うのは、その人その人それぞれのもので絶対的ではないのだ。

 

 それらをするのは大変だ、となれば金で解決。どちらを取るか、どこまでするかの選択。寧ろ、お金で解決出来ない事が一番大変だったりもする。月並みながら要は、金銭は便利さや時間を得る為の道具であると。施主施工に必須かと問われると、お父さんは躊躇ってしまうんだなぁ。電気カンナは便利で早だろうがどうしても必須とは言えない道具、と同義、若しくは近似かなと。