家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

他言無用

 梁束梁貫板材加工と平行して行っていたのが、当該施工場所の美装作業。要は清掃。

 今までや今回の土壁削りの施工等で見事に砂埃が堆積。中塗仕上施工による中塗土が接する木部は、先行して綺麗にしておかないと後に非常に面倒になる。なので、そこそこ面倒な前作業をやっておく。脚立に跨り土壁削りをしていたお母さんが、引き続き雑巾等を持っての高所作業。

                     

 我らがお母さんは視力矯正者。二人が大人になった時には無くなっているんじゃないかと思ったりする、コンタクトレンズという物を若い時から着けていた。これは、眼球に直接、視力矯正効果があるビニールみたいなものを涙にて貼り付ける代物。眼鏡はダサい、コンタクトレンズがオシャレ、という風潮が平成の初期から中期時代にあったかな。

 しかし、若かりしながらもお父さんは止めるように提案。流行りに乗っておく姿勢自体がダサい。皆が皆コンタクトレンズを付けているのだから、却って眼鏡が洒落ているのではないか。それ以上に、何十年も付け続けた事例が無い身体に悪そうな物を付けてどうなのか。付けたまま寝てしまうのが良くないらしいのに、それをよくやるズボラなお母さんなら尚更。

 コンタクトレンズは化粧等の面で都合が良いと抵抗しつつも、自身が扱いに面倒を感じていた事等が後押しになりお父さんのコーディネイトにて眼鏡に切り替えた。その後の現在、眼鏡に戻して良かったと肌身離さず。さらには、世間の眼鏡の地位も以前より向上。

 今思うと住宅や建材への考え方にも同じ事が言える。当時のお父さんからして伝統構法家屋を選ぶべくして選んだのかと思う。そして、昨今の一部の住宅に関する動きを都合良く解釈し、秘かに自分は先見性があるんじゃないかと思ったりする。こんな事は他言無用だが。

 

 さて、お母さんの清掃能力について。これも他言無用だがどちらかと言うと低い方だ。眼鏡による視力矯正なので死角が出来ているのか、と思い込ませようとしてみたが無理。眼鏡を使う人皆が雑な清掃をするのかと言えば絶対違うからだ。雑な性格から来るものとしか思えない。小学生の時の教室掃除も率先してサボっていたんだろうなぁ。教師が厳しく怒ったら逆に文句を言いに学校に押しかけそうなおばあちゃんに育てられたから、実家でも掃除手伝いをさせられてなかったんだろうなぁ。不思議なのが、自分の清掃不足だと目に入らないのに他者のそれはとてもよく見つける。

 

 どこまでを、どのレベルまで掃除しないといけないか、といつも通りに中身の説明を100%行っている。しかし、一体何を聞いていたのかと嘆き叫ぶ結果となるのもいつも通り。多分平均的に教室掃除をし、実家ではたまにやらされ、アルバイト先の飲食店で水と雑巾と素手により便器等を清掃する事の意義について学んだ、本施工において親方であり主体施工者のお父さんが、他作業を止めて手元でも出来る清掃をやり直す。

 

 世間様は夫婦で施主施工となると、概ね良い風に反応してくれる。仲が良いとかとか。お父さんもそれを期待していて努めようと思ったが、実体はそんな素敵な光景は現場に無い。

 例えば、夫婦で小さな食堂とかを営んでたとしてもそう思われがちかもしれない。しかし、今のお父さんの場合は斜に見てしまう。ブログ等で我が家のように夫婦で施主施工をされている方で、まぁ何とも仲良し夫婦っぽい記述に満ち溢れていても同様だ。きっと知らない所では色々あるんだろうって。世間体を考えず正直を心掛け、恥ずかしい所も子孫に書き残そうと方針を決めてしまっている。そうで無いなら好き好んで我が子達に向けた文章でこんな事は書かん。そんな親父はどうかしている。

 

 自己弁護をする。

 駄目な所等について書き連ねる事は、それに怒りを伴っている場合は勢いもあってスラスラ書けるしスッキリする事がある。しかし、そうでない場合は、他者の事だろうが自分の事だろうが結構しんどいものだと、その方針の基でのこの手記で初めて知った。

 片や、良い所ばかりとか当り障りのない事ばかり書くのは楽だとも。どうもこれは人に依る間隔っぽい。世間には、自分に何ら損害を与えていない全くの赤の他人に対して、罵詈雑言を垂れ流す事に勤しむ人が居るようだからだ。社会正義のつもりか自己の快楽の為なのか、お父さんにはよく分からん。

 そういう心情の上で、顔を直接見ることが無く人柄を知らないだろう子孫に向けて、現場の空気感も含めて現在のお父さん達の事を伝えようとして書いている。そういう事なので、お父さんとお母さんは相当仲が悪かったのかと解釈する必要は無い。少なくともお父さんはそう思っている。何か事を行う時にぶつかる事態は多いかと思うが、何とかかんとかやっている。それに、お母さんは雑な所があるがその反面はおおらかな所もある、と読み替えると長所が見えてくると思う。文章のまま受け取っても実体はそうでもない、何てことは古今東西の世に溢れている。

 

 まぁ、たまにはお母さんを弁護するなら、この清掃作業は確かに大変ではありお母さんの分も含めると3人工弱も要している。

 効率が悪い遣り方をお母さんがしていた点はある。だが、足場を組んでいない高所作業というのは、それだけで結構手間を喰うもんだ。その上で、竿縁天井撤去後に新たに塗ったリビング天井板や丸太梁等は柿渋古色である。水拭きすると、固まった柿渋古色でも容易に取れてしまうのだ。その為、直ぐに雑巾が汚れる事で、直ぐに脚立から降りる破目になるという具合。

 更に、日が直接当たらず暗い天井板を、脚立上にて身体を反って見上げながらの雑巾掛け。ホワイトカラーの中年女性にとってはなかなかの肉体労働のようで、見落としや手抜きは分からんでもない所は少しはあるけどもね。

 だけども、「良く頑張ったね」と簡単には言ってはいけないような気がしてならんのだなぁ。他言無用だが、お母さんは他者の程度が高くない仕事ぶりを褒めないし労わない厳しさがあるからだなぁ。似た者夫婦かも。

 

不安定施工

 板の加工工程の次は仕上工程へ。要は古色塗装。

 

 まずはヤスリ掛け。いつもの120番からの240番の二回掛け。広い面は特に問題無い。ギリギリ見えるかという木端部は、ベルトサンダーではちと面倒。なので、何枚も重ねて木端部を広くして。

f:id:kaokudensyou:20170226181441j:plain

 

 そう思いきやここで板加工精度の問題にぶつかる。重ねると全ての板巾寸が同一でない為、凸凹しているんだなぁ。そんな状態で重ねても、ヤスリが当たらない所が出てしまい却って面倒。よって、ベルトサンダーをひっくり返して一枚一枚掛けていく。結果、全ヤスリ工程に1.5人工強も要す。33枚あったので一枚当たり平均20分か。うむぅ。

f:id:kaokudensyou:20170226181449j:plain f:id:kaokudensyou:20170226181456j:plain 

 

 この加工寸法精度問題はストレス。頭を悩ませる事がたまにあるのだ。ソーテーブルの組立精度によるものか、加工材の反り等が反映されてしまっているのが、実の所確定出来ていない。それでも大きな問題にはなってなさそうで、今回のように手間を掛ければ対応出来るので放置している。いや、お手上げ感が強いかな。対応しようと何回か改造や調整に挑んだり、切断作業前に加工材の反り等の状態を確認したりとしている。しかし、大量加工材の寸法が均一にならないんだなぁ。これ、家具造作時に更に面倒になりそうだ。

 

 面倒と言えば、1人工程を要した古色塗装。これも安定しない。

 顔料を増やすと、いくら亜麻仁油古色と言えばマット感が強まる。そもそも余剰となり顔料材が勿体ない。そこで顔料を減らす。そうなると鉋掛けしたヒノキ材は特にだが、まぁ、色が乗らない。色の乗り加減は柿渋の方が良かったように思う。ヤスリ掛けのスギであっても、皆同じようには色が乗ってくれない。同じスギであっても違ったりするのだ。

f:id:kaokudensyou:20170226181434j:plain←鉋仕上げのヒノキ材への塗布一回目

 

 そういう色ムラ問題の事もあり、煮亜麻仁油古色であっても二度塗りが基本となっている。その前提で、現在の梁束梁貫板材への調合割合は、煮亜麻仁油120gに対して、黒顔料34g、赤顔料21gとしている。この割合も今後も引き続き微調整していくかもしれない。

 

 この配合、古色塗装工程のある時期に適当でいいのかと思った事が有る。それは古民家先輩、正確に言うと彼の現場に入っていた大工職による。

 彼に古色配合について尋ると、その大工職はインスタントコーヒーの瓶の蓋に何杯、といった具合に顔料を混ぜているとの事。お母さんやおじいちゃん建築士と同じ人種の方なんだろう。とは言え、確かに昔の本職が匁とかの単位で一々量っていなかったかもしれない。

 で、ある時期に大体の感じでやってみた。しかし、どうも色が安定しないと感じたのだ。原因はそのざっくり配合なのか、柿渋と違って亜麻仁油は顔料色による影響度が強いとかがあるのか、先述のように材違いによるものがたまたまあったのか。いずれにしても、正確に計量する事が一番無難には間違いないので、引き続きグラム単位の格闘をしていく予定。

 

施工内容よりも注意事項なのだ

 板材が出来上がった。本職や一般的施主施工者は多分ここからスタートしている。キャリア試験に合格した官僚も一足飛びの階級でスタートするらしい。ノンキャリアのようにほぼ底辺からスタートするお父さん。人工を惜しんでお金を惜しまない本職や一般的施主施工者と比べ、2人工強の差を付けられている。しかしだ。官僚は事務次官になる為にはキャリアスタートが必須だが、施主施工ではノンキャリスタートでも事務次官になれる可能性がある。スタートの遅れは結果に関係無いのだ。

f:id:kaokudensyou:20170225185242j:plain

 

 と、いつも通りに余念無く無理矢理な自己暗示を行い施工を開始。

 板材の配置は既存の梁束梁貫仕様に準じる。それは、居室の東西南北の小壁をそれぞれ独立的に捉え、各小壁内にて均等割りに配置しているという事。これを踏まえて材の寸法切り、配置位置確定による隠しビス取付。さらに、板材の木口側へのビス頭引っ掛かり加工を実施。この時点で4人工程だったかな。これらの作業にて板材の仮設置が可能となる。次はビスの出調整。これだけで1人工。

 

 そして、化粧柱と兼ね合う木口の調整。角材である柱や梁は隠しビスが良く効く。ビス頭と既存角材に取付板が挟まっているのだ。しかし、化粧柱は平面では無いのであまり効かない。極力、板材木口が化粧柱に接するように鑿で削り調整する。6枚だけながらこれだけで半人工程を要する。

 それでも、この箇所は固定維持不安がある。梁束取り合い側の接着剤とこの後の中塗土により固定具合が強まると踏んでいる。逆に言うと、これが無いと容易に落下する状態。ましてや階段動線に接する箇所だ。多少の固定具合では接触のはずみで取れないか。以降の工程で確認、必要であれば対策を講じる。

 しかし、何にせよ釘やらビスを付けて物を掛けられるようにする等の愚行は止めて欲しい。引っ張り力を掛けられるようにする行為であり、単に邪魔だし見た目も良く無いし。注意事項として一応記載しておく。

 

 さて、これら作業により梁貫板材は大体出来上がり。次は梁束板材。

 同材は、二枚の梁貫板材の隙間を隠し一枚物っぽく見せる。そして、隠しビス細工の反対側端部を支持する材ともなる。その箇所を相欠きしようかと思ったが、目線に無いのがほとんどの材でそこまでのレベルは不要。梁束板材側だけを切り欠いた。この梁束板材の切り欠き加工関連で半人工強だったかな。

 これにて仮付してみて良さそうなので本工程終了、はい以上。梁束梁貫仕様にしなければ不要だった総じて多分7人工強も要したにも関わらず、相変わらず施工記述は簡単に終える。

f:id:kaokudensyou:20170225185248j:plain f:id:kaokudensyou:20170225185255j:plain

 

 それよりも一応の注意事項をもう一つ。リビング西側の化粧柱に対して右側の小壁の梁束板材の設置法について。

f:id:kaokudensyou:20170225185235j:plain

 

 当材の上部は丸太梁と取り合うので隠しビスにて固定。一方、下部は長押の裏側の奥の変な所となり、隠しビス等金物を使える相手がいなかった。と言う事で、長押裏詰め込み土にて固定する苦肉の策を採用。しかし、きっと隠しビス等よりも強力でガチガチに固定出来ると思っている。固まった泥はとても硬いから。という事でもし撤去をする場合は、隠しビスによる上部の固定を上手く解ければすっぽ抜く事が出来るかもしれないが、そうでなければ板周囲の泥土を砕く方法になるかと思う。

f:id:kaokudensyou:20170225185228j:plain

 

社会の役割分担による専門化等の有難さ

 この年、農家の方から罠にかかった猪肉を分けてもらう機会があった。きょうこは覚えているかもしれないな。

 猪は、我が家でスーパーで買うレベルの普通豚と違う。噛み進めると口に入れた最初に感じた調味料の味の向こうに、これが肉だと感じる味がやって来る。筋肉に脂肪が挟まりまくってるってそれはもう病気か何かじゃないのか、と思ってしまう霜降り牛肉の甘味を感じるか否かはさて置いての脂味。これとは別次元の全く違うこれが本来の肉味じゃなかろうか。この味は、我が家の食糧消費レベルでは日常お目にかかる事が無い。

 しかし、野生肉だからかとても硬い。猪肉としての上級部位は無かった。貰い物なので贅沢は言えない。だけど、歯が弱くなったお父さんには結構辛い。そうでも無いお母さんも似たような感想。顎が弱そうな現代っ子のきょうこも格闘気味。りょうすけは早期戦線離脱。

                                         

 改めて強く思う。そこそこの値段で硬くない豚肉がいつでも買える事の素晴らしさ。この畜産技術と従事者の並々ならぬ日々の努力の恩恵。味は猪に負けていてもそれは代償として仕方がない。文句があるならその分の金銭負担をすれば応えてくれそうな畜産家がいる選択肢の有る有難さ。

 また、精肉加工業者や料理人の力を認識。パックに入った状態になるまでの肉の処理設備と技術。これを慣れない人間が自宅にて、まな板と普通の三徳包丁でしようものなら一仕事な上に歩留が悪い。また、野生肉を美味しく調理出来るのは人類が獲得した財産と言って過言じゃないと思う。このスキルを意のままに操るジビエ料理人は、高い報酬を貰う事は当然の対価と認めざるを得ない。お父さんはほぼせずにお母さんがやってくれたが、骨から肉を取ってそれを調理したり、骨からスープを取る事は傍から見ていても大変そうだった。狩猟を志す者として考えさせられる。

 

 元はタダのような物だとしても、それを利用する為には人の手と知恵が大いに求められる。自然素材と言われる物を主として扱っている施主施工者としても、同じ事を事ある毎に思う。

 木材に限っても、苗を植えたりして育て、山に行って伐倒し、それを運んで製材し、現場で加工されてようやく目的の材となる。書けばとても簡単。育てる、伐倒する、運ぶ、製材する、加工する。この家に越してから一応全てを経験する事になったお父さんは、哲学者や宗教家になるのかと思うぐらい色々考える。そこらの理屈だけの輩とは違い全ての実践者だぞ、と差別化して自信を高めているのでちょいと危険だけど。

 

 さて、今回の施工も一々製材から始まる。梁束梁貫用の板材作りだ。

 買えば楽チンだが、節だらけフローリング材の余材があるのでこの活用を進めて元を取らないといけない。目先のお金問題が動機としてあるのだ。だが、以前も少し書いたが板材は自己製材だと難易度が高い。これが山程あるのに、薪にするのはとんでもない放蕩贅沢と思う身体になってしまっている。

 

 節だらけ材が山程。よって、選別抽出だけでもう一苦労。それでもやる。半人工強は裕にかけての選別作業。そこから製材をしていく。フローリング余材は30㎜厚。既存材に倣った上で中塗土塗厚を鑑みて、梁束は20㎜強、梁貫は10㎜強程とする。よって、30㎜厚は過分。

 ここで自動カンナで削りまくって仕上げる、とは行かない。節が少ない材の確保が容易では無かった。最も長い梁貫で1.8m程。これ程の寸法で無節材の確保は不可。妥協して上小節でも不可。梁束で一部隠れる事から梁貫材は一枚物とせずにする。繋がっていない方が、材端部に既存柱がある同材の設置はし易い。それ以上に、先述通り材確保が出来ないし。半分の0.9m弱だとそこそこの材を確保出来た。だけどもそれでも完全に数不足。小節レベルを容認し、30㎜厚板を半分厚に切り割る事でようやく足りる有様。

f:id:kaokudensyou:20170223184142j:plain

 

 そもそもだ。自動カンナで10何㎜も削ると、膨大な時間と標高数十cmの木屑山が出来てしまう。その用途は肥料にするのが関の山。そもそも何も野菜とかを育てていないから肥料は不要。山土となるだけ。貴重な板材を山にするなんて勿体無い。

 その後、ソーテーブルにて30㎜厚板に切れ目を入れ、刃が届かず残った箇所を手鋸で切断。粗い面を自動カンナで平面化していく。選別から入れるとこの段階までで大体2人工強は要している。人工代を考えると馬鹿らしいのでちゃんと計算していないが、恐らくまたもやアルバイト代の程度だろう。しかし、そういう事が大事では無いんだ。板材という人類文明により得られた貴重な材を、有効に使えた事に大きな意義があるのだ。

f:id:kaokudensyou:20170223184149j:plain

 

 てな具合に延々と自分に思い込ませる。そうでもしていないとお父さんの場合は、予算死守の施主施工を今後も続けていく事が出来そうにないのだ。

 

伝統構法長期自然材多用施主施工の特有スキル

 単なる家主と違って見れば見る程萎える長押。では残そう、と思うのは施主施工者として自然な心理だと思う。但し、どう残すかがまた検討課題となる。と言うのも長押裏が見える改修だからだ。

 それは階段の存在。今までの2m未満の生活視線なら気にならなかった箇所が、縦動線の出現でそうはいかなくなる。長押の裏は大きく隙間がある。そこには、それはそれは埃等々が溜まっている。もしかして、ゴキがコンニチハしてくる映像が目に入るかもしれない。入られると殺虫剤を居室高所でふりまくるしか手が無い。

 もう埋めるしかない。万が一、家屋の為にわざと開けられている空洞だとしても。

 

 さぁ、どうやって埋める。隙間の大小関わらず、まさかコーキング充填などは有り得ない。埋める事自体が愚行でも、こんな所にコーキングは最高位な愚の骨頂。埋める材代表格のコーキングを否定すると選択肢は土しか思い付かない。という事で、梁束梁貫仕様云々の遥か以前の平成28年真夏に荒土プールにて準備開始。

f:id:kaokudensyou:20170223174458j:plain

 

 その後の中秋の頃、紙を詰め始める。その後の工程である繊維仕上げ剥がしと中塗土削りの際、それら壁から落とした物が長押裏に入っていくのを減らし、さらに取り易いようにする為だ。それに、充填土による重量増加を少しでも減らす為。特に欄間壁は、言っても厚みが大して無い鴨居材三本と吊束っぽい縦材一本による壁だから。同時に充填土の節約も。これらの為、何か月も前から梱包緩衝材として届く古新聞を蓄えておいた。隙間が狭い所はそのまま土を充填する。

f:id:kaokudensyou:20170223175453j:plain f:id:kaokudensyou:20170223175458j:plain

 

 長押対策はこのように何ヶ月も前からの計画なのだ。片や梁束梁貫仕様への変更は急遽だが、これだって以前から悶々していた事案。

 書面にする気が起きない程の許容を超える膨大な工程表内容が、書面にしていない所為か脳内で撒き散らかされている。その状況下で、懸案事項とされている設計や施工は山程あるので、時に脳内が混乱したり短絡して停止したりする。そんな中で先の工程を見付けて、それを見据えて段取りしていくように努める事を要される。急遽の変更等があっても、その殆どがそのような長らく懸案検討事項としてあったもの。本当に急な計画というのは数少ない。この長期施工生活下において、夏は海に冬は温泉にとか家族旅行を計画しようとは沸き立たない。んんん、言い訳かな。

 

 工程管理を業務とする現場監督のような本職は、経験を重ねる毎に脳内処理速度が鍛えられてお茶の子さいさいかもしれない。天候は基より、関係者の勝手な都合にも対応する能力が高い人は所謂、出来る監督だ。以前にも書いただろうか、素人施主施工者の多くはこの経験が無いか、お父さんのように極々僅か。規模が大きく工程工種が多い程、この工程管理等は結構な負担業務。本職依頼を嫌煙する一つの要因となっている。

 しかし、お父さんが知る限りインターネットで見る施主施工者の方々の多くは、施工のお披露目が殆ど。一部の方は設計について触れていても、工程管理についてはほぼ無く、記載があっても結果内容の完成形の類のみか。そのような素人も本職も施工のような書き応えある物と違い、工程管理等は書くに及ばずとの認識か。読み手にしても読み応えがないのかもしれない。

 

 昔と違い今のお父さんは違うわぁ。度々書いてしまっているが施工内容には興味の無い物が多い、特にプラモデルな在来工法については。そんな事よりも工程管理や資金や人工等の事の方が関心事で興味があるし学びを探す。自然材相手ばかりの伝統構法家屋の長期施工をしているとそれらが重要になるが、それらをしている人が絶対的に少ないから仕方ないわな。

 

 伝統構法を世界文化遺産にして盛り上げよう、という活動をされている学者や本職の方々がいる。その団体に暗に意見を述べた事がある。本気で伝統構法復活を考えるのなら、遺産とかよりも施主施工という選択肢を確立する事が必要だと。勿論完全無視されているのだが、もし採用されたのなら工程管理の雛形や費用目安表等が本職方によって作成されるかもしれない。そんな魂胆は実現しそうに無い。

 ブログアクセス数等を気にしないが、古民家先輩のブログ公開主旨に共感して公開だけはするお父さん。自分が興味あり伝統構法を残すには必須だと考えるので、素人による設計や施工法に付け加えて工程管理的な面で試行錯誤してきた事ばかり書く。一方で、読み手のウケが良さそうな施工についてはあまり書かないんだな。それはお父さんよりは読み手に優しい古民家先輩にお任せ。