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家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

中塗り仕上げに don't stay tune

 ブランド着てるやつ もうGood night

 Mで待ってるやつ もうGood night

 頭だけ良いやつ もうGood night

 

 カッコええわと思う曲のサビの歌詞の一部。「もうGood night」は前後の歌詞から、「うんざりだ、もう寝てしまえよ」と解釈。この曲がラジオから流れて来たらラッキーで、施工中にだと作業の手が早くなる。しかし、直後に歌詞に手が止まる。

 

 広くて浅いやつ もうGood night

 

 「これ、俺の事じゃないのか」と、毎回毎回思ってしまう。伝統構法多工種施主施工。兎にも角にも広範囲な知識が求められたリ、はたまた嫌でも入って来る。だけど、所詮は素人仕事、一向に深まる事は無く次の工種に移っていく。この曲を聴くと、ふと焦燥感が漂ってしまう。

 貨幣経済の恩恵の一つ、自給自足社会から分業や専業を可能とした事。社会や文化、技術や科学等の高度化の実現とも言う。例えばお百姓さんが良質なお米を作って、税金という貨幣を仲介にして科学者等を支えた結果、今や小惑星探査が出来るようにまでなったんだな。お百姓さんも科学者も狭くたって深い人達。それに引き換えお父さんは、なんて思う事しばしば。

 

 分業専業化の恩恵は、自然素材を扱う時はより痛感する。

 以前、自然素材の定義についての疑義、と言うか屁理屈を書いてみた。あれは、屁理屈的で矛盾的で押しつけがましいような自然素材原理主義者に対したものだ。石油製品も元を正せば、と感覚的には思っていない。

 一次的な素材というのは「自然界にもそのままの状態である物」だ。二次的なものは、「自然界にそのままあるが加工する事で使える物」だな。鉄やガラスとかがそうだ。で三次的なのは、「自然界にはそのままでは存在しない物」と言えるんじゃないか。石油製品や化学薬品やらだな。こんな感じじゃないか。

 

 で次の工程は一次的素材のみ。通常は専業化した人により、あたかも一次的素材とは思えないような代物に仕立て上げる。そう、それは中塗土の仕上げ塗り。

 泥を使って建物を作る地域は日本以外にもある。どこかは忘れた、ユーラシアやアフリカ内陸部のどっかかな。しかし、それらの建物は日本の左官工によるものとはあまりに違う。明らかに「泥を塗りたくりましたが何か? 平滑とか美しさっているんですか?」という仕上がり。価値観や文化が違う。家族親戚でその地にある材で作るという住居の元祖感が強い。

 

 さて、お父さんの場合、教えてくれたご先祖やら叔父さんやら村の長老やらもいないので、そのような地域の人達よりも泥造詣が浅いかもしれない。勿論、技術を受け継ぎ磨いて来た左官職人もいない。広くて浅いお父さんが果たして、高度な日本左官技術にどこまで近づけるのか。

 そう考えてしまうと憂鬱。なかなか腰が上がらない。ただでさえ新しい工程には躊躇する。しかし、漆喰塗りに次いで難関と見る中塗土仕上げ塗りは、折角回復したやる気を漆の時のように損なわないか。そんな悲観的思考がお父さんをつきまとう。確か、古民家先輩が何かの新しい工程か材料かに挑む際、ワクワクすると書かれていたような記憶がある。見習いたいけど見習えないやつ もうGood night。