柱を建てながら抱く独り善がり
解体材を、丸鋸と鉋と鋸と鑿と新設の柱へと加工していく。既存敷居も撤去し、柱受け材用のホゾ穴と外壁板の嵌め溝をトリマーで掘る。柱先の刻みは見上げ作業。目まいが起こらないような頭の角度を探りながら何とか完遂。これで準備は整った。
寸法をこれまたキツキツで加工したので、なかなか入りが悪い。手押しでは全く動かず。
柱と受けの接面に古色を塗って滑りが良くなるかと思ったが当ては外れる。大ハンマーで柱か受け材が割れるんじゃないか、と思う程強力に打ち込みようやくといった感で入る。
柱を継ぐ刻みに「根継ぎ」というものがある。柱の根腐れ部分だけを後から交換出来る継ぎ方だ。これをすればと思ったのなら、どういうわけかお父さん並みの知識はあるのだろう。
お父さんも真っ先にこれを思いついて調べた。やってみようかと思ったが、この時の体調を言い訳に選択しなかった。体調が戻った今、練習や経験や後世の為にやってみたら良かったと思う。その時は余裕が無く諦めた事を、後に余裕が出来た時に悔やむ。
この場合は非構造柱の継ぎ、結果は同じだろう。しかし、これが施工精度や仕上がりだとそうはいかない。ずっと後悔するかもしれない。お父さんなりに精度や仕上がりを求めるのは、目先の工期(時間)に囚われてこの後悔をしそうな事が嫌だからだ。
さらに言うと、不細工な仕上げなどに愛着が持てるのはその施工者本人だけだ。お父さんのこの工事の大きなテーマに、代を超えて住み続けるという事がある。直接お父さんと接するお母さんや二人だと、愛着なりを持ってもらえるかもしれない。しかし、孫やそれ以降の代はどうか。もし他人の手に渡ったとしてその他人はどうか。
・十分使える状態だった家をわざわざ改修するのは、永く住む為の使い勝手の面。
・精度や綺麗さは、永く住む為の心情的な面。
・それらを施主施工で実現を目指すのは、子孫達がいざとなれば自分達にでも出来ると思ってもらう事で、維持能力を高める面。
テーマを実現する為には、これらを直接会えない代に伝えたいという意味合いを持ちながらやっている。
この家に限らず日本の優れた伝統構法家屋は、解体や放置はされていっているが新築は限りなく少ない。しかし二人には、子孫達には安易に捨て去る事は避けてもらいたい。
この地を離れなければいけない事情があっても、賃貸出しすれば喜んで住んでくれる人がいてる。特段の事情があって売却の選択をせざるを得なくとも、叩き売り価格でなくアンティーク価格で喜んで買ってくれる人がいてる。天変地異でも起こらない限りは、更地だとむしろ借りたり買ったりする人は特定少数、しかも非常に安値評価になる。これらは希望や願望の言ではなく、断言だ。
と独り善がりを抱きながら、最後に込栓挿入。無事に寸法通り建った。これでまた一歩前進。