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家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

お父さんは基本的に素直

建築士・施工者

何故、このようなおじいちゃん建築士を見限らなかったのか、という話。

 実は、この前段階から他の建築士をあたれないか最後まで足掻いていた。しかし、お父さんの計画に乗ってきてくれるような建築士はいなかった、という悲しくも簡単な話だ。

 伝統構法家屋を新築するような建築士、しかも、ローコスト住宅や施主施工も扱っているという。大本命だったが、坪単価が我が家の予算からは非常に乖離している。半ば諦めていたものの、伝統構法家屋の新築現場の見学会を行うとの事で、「勉強ちょっと、期待は大」で行ってみた。

 実際にお話してみると良い感じ、だけど予算上ムリだと話したが、「それでも一度相談を」とアシスタントのような方が言ってくれた。真に受けた。お父さんは基本的に素直なのだ。

 しかし、「一体、何をしたいのか」との逆質問。その意図が分からない。「予算が
1千万円程度しかない。でも全改修をしたい。なので、施主施工を取り入れる覚悟をしている。施主施工経験はある。」等々こちらの都合を赤裸々に添えた上で、机上に乗るのか否かを相談してみたのだ。「相談してみろ」と言われたから。「何をしたいのか」だけでなく「冷静になったらどうか」的な返答もありたじろいた。無理なら無理とだけ言ってくれても構わない。しかし、核心は避けながら計画全体の倒壊を目論んでいるかのように、大いに揺さぶる揺さぶる…

 他にも、伝統構法を手掛けているらしい別の建築士にもあたってみた。「施主施工なんて無理」、「紹介できる工務店は宮大工だけだ」とか。まぁ、そんな感じ。
 「看板に偽りアリ」という業者は無数にある。親身に相談に乗りますよ、とサイト制作業者の従業員が書いた文言を信用しても、実際にサイト主の業者がそうだとは限らない。

 しかし、お父さんの方に無理がある。施主施工を仕切るには、通常の設計業務だけでは収まらない。また、展望が見えないのに引き受けるような無責任な事は、まっとうな建築士であればある程出来ないだろう。なので、施主施工という、別途のコントロールが必要な事にそもそも前向きな建築士に絞る。
 一方で、伝統構法に精通していそうな建築士も望む。だから一気に選択肢が狭まる。いたとしても非常に遠方。大本命だった建築士が唯一全ての条件を満たしていたのだ、予算以外は。

 その点、おじいちゃん建築士は違った。唯一「出来る!」と言った。施主施工も踏まえた話なので、もちろん施主施工自体が前向き。仕事欲しさに言っている事も考えられた。しかしそういう感じが全くしない。
設計料について尋ねたら非常に安価な設定だった。
 金額設定だけではない。口から幾度もこぼれる言葉は、「施主の為の家づくり」「施主に寄り添った」「施主の想いを」と、いつも主語が「施主」だった。伝統構法に精通しているか否か、には最後まで疑問符だったけども。

 他に選択肢がなかった、おじいちゃん建築士にヤル気を感じられた、という以外にもある。
 これはお父さんならではかもしれないが、親世代と同じ目上のおじいちゃん建築士は、子供世代のお父さんに対していつも敬語だった、という事が影響している。
 お父さんは、年齢関わらず無礼者は嫌いだ。フランクと無礼は全く別物である。丁寧語さえも知らないような友人でもない同世代、客と業者の立場をわきまえない輩、これら等は言語道断。
 こんな事は他人様に言うと白い目で見られそうなので口外はしないが、目上だろうが物心ついた子供だろうが同じく嫌い。物心ついた子供は基本的に無礼な生き物だ。だから基本的に嫌い。正直に言うと、「我が子でも大丈夫なのだろうか」ときょうこが産まれる前に心配していた程だが、これは杞憂だったよ。

 逆に、大人への接し方を知っている子供、歳相応以上に挨拶がちゃんと出来る子供に出会うと感激する。その親御さんは間違いなく立派な人だろう、と勝手に想像もする。ましてや、目上の方から敬語で接さられると恐縮してしまう。

 おじいちゃん建築士は、内容には問題やら疑問やら課題やらがある。だが、少なくとも表面的には熱い想いを持ち、お父さんを施主として敬意を持って接してくれる。他にいないという事ももちろんあるのだが、このおじいちゃん建築士の姿勢がなんだかんだで付き合っていく事になった。お父さんは、基本的に素直なのだ。