家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

吐かれた唾を吐き返す

 手間と費用。リビングダイニングの壁仕上材を施工面と予算面から選んだが、ついでに他の居室も含めてその他の面についても説明しておこう。

 

 土壁中塗仕上げの梁上小壁は、元々は繊維壁を含めると、リビングダイニング以外には大玄関と奥玄関と南側の縁側、それに一階トイレにある。これを温存するとなると、その下部の壁も同仕上げとする方針。それ以外の、元々漆喰仕上壁と二階の壁全ては漆喰仕上げ予定だ。

 

 漆喰仕上げを否定する人がいる。これを使用する人間は、時流等に踊らされた知能が低い馬鹿野郎と言わんがばかリの、独断と偏見に満ちた断定表現論による。意味が分からんし分かりたいとも思わない。矛盾に満ちていながら自己の嗜好と選択が絶対的だとする姿勢が見受けられるその文面から、他者の弁を柔軟に聞いてもらえそうに全く無く、得られるものも無さそうなので議論する気はさらさら無い。

 ただ、そういう人もいるのか、と思うだけで収まらず気の悪さが残る。ちょっと大袈裟に例えるなら、通りすがりにそこらで唾を吐きかける人間を見たような気分。自由に唾は吐けばいい、自分の敷地内でなら。それ以外で、ましてやあれこれ考えて漆喰採用を決定した我が家に向かっても吐きかけるもんだから、まぁ気が悪い。本当に吐かれると追いかけて行って最低一発はシバクけども。

 

 漆喰という建材は、唾を吐きかけられるような代物ではない。チムニー壁仕上げ材としても触れたが歴史ある建材であり、日本独自に発達した左官法により未だ健在な建材。

 大阪という都会にあっても、周囲を見渡すと内外壁に漆喰が使われている家屋が特にこの地域は多い。詳しく知らずに書くが、漆喰は贅沢建材であったのではないかと思う。漆喰が無くとも家屋は建つ。よって、農民等の庶民は土壁仕上げで屋根は茅なり板なりの家。しかし、有数の商業都市であった大坂は、主に商家を中心に瓦屋根にだけでなく漆喰使用が多かったようで。

 贅沢品を使う事で富をひけらかす、というのは一つの見方。商売においては、ちゃんと利益を出している事に信用性を諮る見方があるのだ。また、漆喰の白さで精錬さを表現していた事も理由にあるだろう。現代はさて置き、昔の大坂商人は兎にも角にも信用第一を旨とする事から、それが漆喰需要にも結び付いていたとお父さんは考える。

 そして、需要ある所には供給あり。大都市大坂には流通体制が確立していたのではなかろうか。この家の地域だけでなく、現在の大阪中心部を含めた色んな所で、文化財的豪邸だけでなく普通の寺社仏閣や普通の古民家にも漆喰が多用されている事が見受けられる。現代家屋の内壁仕上げまで含めると、漆喰は昔ながらの建材は言うに及ばず、今でも左官材として揺るぎない。

 

 また、現代における特有の存在、自然素材原理主義者の方達も認めるはずだ。

 西洋漆喰とは違うと書いたが、漆喰の元祖は石灰石という鉱物ではなく貝殻から作られていたようだ。貝料理中に過熱してしまったとかの失敗から生まれたのかもしれないな。洋の違いは貝殻の違いを指しているのだろうか。石灰石自体が海底の堆積した貝殻からでも出来ているようなので、案外それはあるのかもしれない。火を用いて意図的に化学変化を起こし、空気中の二酸化炭素にて元に戻る事で自己硬化する気硬性建材。疑いようが無い自然素材だ。

 

 左官仕上材として新参者に珪藻土がある。これは珪藻という藻類の化石の堆積物だそうで。これは自己硬化しないので合成樹脂とかを入れたりする。そのような加工をしている事もあってか施工性は良いらしい。

 この材を否定するつもりはサラサラ無い。お父さんがまだ中年腹が出ていなかった頃、珪藻土の利用を模索する人達の事が取り上げられているテレビ番組を視た記憶がある。その後暫くして腹が出た頃には左官材として名を聞くようになり、今や確固たる地位を得たような感がある。これは商業目的有りきとして生まれた新建材、と言えるかもしれない。

 

 ただ、自然素材原理主義者には容認されなくても、お父さん自身は唾を吐きかけない。吐きかけるとするなら、それを室内空気を清浄する完全な自然素材建材風に謳う悪意的業者や施工者、そして不勉強が過ぎる施主に対してぐらいだ。

 利用価値が低かった珪藻土を左官材として、樹脂等で固める利用方法を編み出し、施工性も得られるようにし、それを宣伝し流通網に載せていく。関係各位のご奮闘を考えると否定する気にはならない。勿論、同情論だけでない。これを否定する事は、同じく資源の有効利用と消費者の経済性の求めに応じる建材、ベニヤや集成材を否定する事になる。どちらかを自分は採用しているのに一方を否定するのは矛盾野郎だし、ましてや漆喰否定は有り得ん。

 

 そもそも建材選定は施工者と施主が行う事だ。皆が皆、土壁や漆喰仕上げ等にしたいと思っても出来ない。時間と金銭により石膏ボードの壁となり、せめて風合いだけでも自然素材を使った物にしたい、という施主の心情を誰が責められると言うのか。勿論、件の漆喰否定論者も資格は無い。その論者が、仮に何から何まで完全自然素材家屋を有していれば言いたい気持ちは理解が出来る。だが、それでも他者の選定材を否定する程の立場には無いと思う。そんな漆喰否定論者を否定してやるぞぉ。

 と、読み手の二人には甚だ迷惑かもしれないが、ようやく吐かれた唾を吐き返してやった感がありお父さんはちょっとスッキリしたな。

 

改修工事ならでは問題

 さて、お母さんが砂埃まみれになって行っている作業は何かと言うと、土壁剥がし。土壁解体ではなく剥がし。中塗土だけを取り除いているのだ。お父さんも同様の作業経験がある事を踏まえて頼んだ。いつもの如く、単純だが時間を要する作業だからだ。しかし、想定を遥かに上回る施工期間を要した。人工数にすると恐らく6人工弱程だろうか。

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 単純数字で書いてもそこそこあるが、お母さんの施工時間は前述通り一日1人工では無いのでトンデモナイ数字である。また、休日出勤等もあったりするので確実に施工出来るわけでもない。結果、作業開始から凡そ3か月も要したのだ。施工時間確保だけが要因では無い。お父さんが行った箇所よりも剥がし難かったのだ。別の言い方をすると重塗り土の密着度が高かった。

 

 作業箇所は元奥の間と仏間であり、改修によりリビングと薪ストーブスペースになる所。元々の仕上げは繊維壁であり、竿縁天井撤去によりそれと天井懐部の荒壁との段差と見た目の差異が出る事になった。この段差も見た目差異も当然ながら無くす必要がある。

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 その為、まずは仕上げの繊維剥がし。これがまた簡単には行かない。恐らく当時の繊維壁は膠にて固められ、下地壁への接着もそれによるのではなかろうか。という事からお父さん実験を実施。水を掛けてみるとほんの少し剝がれやすくなったが、膠であるならお湯だろうとして改めると即効性があった。ただ、残念ながらお母さんはこの結果を失念して翌週に作業を行い、この作業だけでやたら時間を要した。流石はお母さん、お父さんの嘆きは現場に響き渡る。

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 さて、ここからは仕上材を何にするかによって変わる。この家屋の既存仕上げは、繊維以外だと漆喰と土壁中塗り。

 その中で、繊維壁への再施工は選択肢に無かった。また新たな建材との格闘を抱え込みたくなかった為が主因。となると、どうせ他箇所で行う事が決定している漆喰が有力候補だ。繊維壁も同じくだが漆喰仕上となると、下地である中塗りは無い所へ足すだけで済む。逆に言うと、土壁仕上げとするならば残存土壁を取り除かないといけない。既存と新規が一つの面に併存すると、その境に段差は必須、色違いも甚だしく有り得ないからだ。しかし、上塗材仕上げとするなら、既存中塗りはそのままでもどうせ隠れるからその差異は分からんだろう、という算段。

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 で、実際には既存中塗り土を削り剥がしているわけだ。と言うのは、壁の一面だけ問題は良いとしても、全体空間からするとおかしくなるからだ。

 この家の梁上小壁の基本は、元奥の間や縁側を除いて土壁中塗り仕上げである。薪ストーブ背後壁は視覚的区別が付くだろうからそこはまぁ良い。しかし、元奥の間を含めた複数の居室はリビングダイニングとして一体空間に生まれ変わる。なのに、小壁を見上げてみれば仕上げが違う。それはおかしい。

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 本改修工事においての肝の一つは、伝統的日本家屋における区分された複数居室を現代住文化に合わせた一体居室にする事で、使用面での永続性を得る事だ。もうちょっと言い方を変えると、住まい手が良いと思える住空間がある家屋は、自然に家屋を長く保たせようと思う事への方策。そうではない家屋は寿命が来る前であろうが見放される事への対策、とも言う。お父さんのそのような目論見が功を奏するかはさて置き、壁仕上げの違いは一体空間化を阻害するので容認出来ん。

 

 そうなると漆喰統一か土壁中塗り統一かの二択。後者を選んだのは、既存土壁中塗り仕上げに漆喰を塗布する事への手間と材を惜しんだ為。土壁中塗り統一に比べて施工面積が遥かに大きいのだ。ならば、土壁中塗りの方がまだマシじゃないか、と設計開始から課題としていて行き着いたようやくの解。いざ着手となった現在、これはこれで手間がかなり要しそうな予感しかしない。

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平成28年のお母さん

 一番変化していないお父さん自身は除くとして、二番目に変化していない一番身近な家族のお母さん。

 

 と言っても、お母さんそのものは変化していないが、お母さんの廻りは大きく変化して行っている。日本の産業界において最後の楽園と思われていたお母さんが働く業種。それも今は昔で、国の政策の影響をもろに受け末端のお母さんその煽りは相当なもので厳しいらしい。会社は人減らしに躍起、能力が低いと見なされた人への肩たたきの嵐。そんな中、お母さんには昇進話がまとわりついているらしい。

 お母さんは自身の事には脚色したり話を盛り気味な人。それでもどうやら本当らしい。お母さんが勤める会社は所謂、東証一部の大手企業で従業員数は万単位。しかしながら、お母さんの職種での管理職は一人か二人か。いや、もしかしたらいないのだったかな。

 

 フェミニストと言われているが、その実体は単なる男性差別主義で理路整然としていない感情論者の独身おばあさん識者が日本に生存している。彼女は日本社会は未だに男尊女卑だと吠えている。専業主婦は男の奴隷で可哀そうな存在らしい。

 専業主婦云々はさて置き、お父さんが思うにそれは確かに事実である。一方で視野狭窄で一面的な見方だ。アラブ地域は特にだが日本でも歴史的に、女性は守られる存在であるという考え方はある。西洋のレディファーストもだな。これを無視して黒人奴隷制度と同様に捉えた感にて吠える事もあって、その識者はあまり共感を得られていないっぽい。少なくともお父さんは彼女に反吐が出る。

 

 そもそも女性側も皆が皆、社会進出を望んでいるわけでもなかった。しかし、時代は変わる。世間体や結婚相手探しや結婚までの為の腰掛就職ではなく、本格的に社会で働き続けたいとする女性は増えていく。その声なき声や条約や何やらで、昭和61年に男女雇用機会均等法が制定される。この法律は、当時の労働省事務次官によって抜擢された女性官僚を中心とした女性多数のチームによるものだそうで、当時としては異例中の異例だったそうだ。この女性官僚は、後に女性初の事務次官に就任されたと記憶している。流石は均等法を作った労働省。先進的な同省程ではなくとも、法制定後は女性の社会進出は進む。

 

 その法は女性の働く権利を守る事で、生き方の選択肢を担保すると見る事が出来るかと思う。そこから時はまた遷り平成28年、安倍晋三政権下にて女性が活躍し易い社会構築が謳われている。女性は、守られる存在から選択する事が出来るようになって来て、現在は求められる存在になった。女性の選択権の充実の為とか言うよりは、国力の維持向上の為かな。業種にも選るが現代日本は人手不足、能力不足なのだ。そういう時流もあって男ばかりのお母さんの会社にあっても、お母さんの昇進話が出てきているようだ。

 

 時流だけでなくお母さんの年齢も要因にあるかもしれん。閉経したら出世した、というテレビドラマのセリフがあった。女性の進出が長らく遅滞しているのは、女性は結婚だけでなく出産に伴い戦線離脱をせざるを得ない事を容認しない社会が、昔も今もある事が大きいと思う。

 お母さんが結婚する前後である20代の時に栄転話があり、その為に部署の事前準備異動があった。しかし、その話は上層部の派閥争いで立ち消え、現在と同じである元の部署に戻る事になった。だが、その事情を知らない一部の周囲からは、お母さんが結婚に伴い自分勝手な異動を望んだと見られたらしい。もし仮に自分勝手な異動願いだとしても、それを会社に呑ませられるお母さんは凄いと思うがな。

 その後、出産に伴い二度の長期戦線離脱。笑顔で祝福しても内心は嫌な顔をしていた男性社員はいただろうな。もしかしたら女性社員でもいたかもしれないな。お母さんが抜けた穴は皆で埋めないといけず負担増になるからだ。それが出来ない場合、産休を認めず実質解雇をする企業は数多あるそうだ。

 そんなお母さん本人はもう出産しようとは考えていないようだし、年齢的に会社も思っていないだろう。お母さんを管理職にしても離脱しない、と。

 

 お母さん自身、出世欲は特段無いようだ。評価される事は誰よりも欲する。そういう意味で喜ばしいみたいだが。しかし、お父さんは少々心配だ。あのお母さんが管理職なんて務められるのか、精神的物理的負担の増大により心身が疲弊しないか、と。お父さんよりは余程管理職向きだと思うが。

 

 もう一つ、利己的な考え方は承知ながら、施主施工がどうなるかの心配も出てきそうだ。昇進するという事は、お母さんは転勤の辞令が出る可能性が出てくる。平社員でも遠方地への転勤する事例は山ほどあるそうだが、何故かお母さんは近郊転勤が何回かあっただけ。女性だから優遇してくれているとお母さんは見ている。しかし、席が限られている管理職となるとそうはいかないかもしれない。

 遠方転勤が無いとしても管理職として諸々の負担増により、休日に施主施工が出来るものだろうか。そもそも今だって感心する時がある。

 

 お母さんの作業品質は、相変わらず雑で粗暴で抜けていたりする。その尻ぬぐいをする度に、何の為にしてもらったか分からんと思う事数多。それでも、仕事をして家事をして育児をして施工をする。

 他に居ないのでよく引き合いに出させてもらう古民家先輩。彼は良し悪しは置いておいて定時終業に努めているらしい。料理好きとの事で調理家事を結構担っているらしい。文章を書くのも好きな方らしくブログは毎日更新。その上で休日を施主施工に当ててきた、お父さんより一回り下の彼。

 当時のお父さんは、月労働時間が400時間を余裕で超える寝るだけ生活で余地が全く無しで有り得ない。上司や同僚が残業する事を蔑みながら退社し、妻の料理に不満があるから仕方なく料理をし、金儲けを視野にアクセス数を気にしたブログを書き、古民家施主施工を指南してやはり金儲けを目論む。仮にそんな立派な腹黒さを持てたとしても、彼のように出来るかは甚だ疑問。よって、彼の事は変態だと見ている。伝統構法家屋を施主施工する自身も変態気味だと思っているが、彼はそれを上回る。施主施工は現役引退者の方が行う事例を数多見受けるが、金銭面以上に時間面でそうなるのはよく分かる。

 

 一方、中年真っ只中の今のお母さんはスーツを纏ってヒールを履きながら、定時退社など別世界の夢物語で拘束時間月200時間代半ばの労働基準法違反前科企業に勤め、全く好きではない家事をこなし、読書はしたいと思いつつほぼ出来ない中、休日半日は主体者としてではないが施主施工を行っている。時には筋肉痛になりながら、時には腰に鈍痛を感じながら、時には砂埃が堆積し白髪頭のようになりながらもやっている。やはりお父さんなら出来るのか疑わしい。もしかしたらお母さんは、古民家先輩をも上回る変態だ。

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 これで老若男性社員十数人の部下を持つような管理職にでもなっちゃったら、流石のお母さんも無理ではなかろうか。その時は、お母さんの雑さ等にある程度は目を瞑ったり、増加分の給料で家政婦さんを雇ったりしないといけないかもしれん。

 

平成28年の叔父さん叔母さん家族

 家族ではなく親戚の事だが、平成28年の大きな事柄としては姻族ではなく血族の甥誕生だ。二人にとっては父方の初めての従弟だな。

 

 急に話が変わるが、有名な漫才師の影響でなのか、尼崎は日本有数のガラの悪い地域として全国的に知れ渡っていそうな気がする。路線で言うと阪神電鉄沿線か。ただ、それも二昔前かのようで、再開発等が進んですっかり垢ぬけた商業住宅地域になっているようで。全然大した事が無い、と言う人がいた。

 その人は岸和田出身者。そう、あの岸和田。岸和田の方が余程ガラが悪いとの事。あ真実だと思う。尼崎を凌駕するとなると日本一かもしれない、岸和田は。その岸和田を有する泉州地域。車のナンバーで言うなら和泉ナンバー地域。お父さんが家探しで避けていた地域。

 

 他県の人に大阪産の日本酒をお土産に持って行った事がある。感想は、大阪の酒だからどうなのかと思ったが美味しかったと。という事はだ。大阪の水等はマズそうだ、という意味が含まれているわけだ。大阪平野は山に囲まれている事から、良質な水が得られる地域がある。同じ淀川水域の京都の酒ならそういう感想では無かったはず。日本酒の水は川ではなく地下水かもしれないが、きっと同じ事だろう。要は、大阪はガサツで汚らしいイメージがあるのだろう。それが環境的な事だけでなく全般的にそう思われていそうだ、全国的に。

 

 そんな大阪の中でも泉州、もうちょっと広げて南大阪は、大阪市内や北大阪から低く見られがち。大和川を超えると未開な別地域だ、ってな具合。

 はいはい、そうですよ。ガラが悪い中途半端な田舎ですよ。未だに暴走族は現役。高速道路の新設による立ち退き交渉で、地主が理不尽な立ち退き料をせしめようと足掻いた結果、地下化に計画変更されたという噂が実しやかにありますよ。関西で一、二かの数の飛込み自殺があって、度々電車を止められる路線がありますよ。そう、他人の迷惑顧みずの人が多いですよ。品なんて無いですよ。大阪市内も北大阪も「そういう地域」は点在しているが、南大阪は「そうでない地域」が点在しているに過ぎませんよ。住みたい街ランキングに尼崎は入っても、南大阪の市町村は一つも入りませんよ。はい、そうですよ。

 そんな品無き地域出身のお父さんとお母さん。確かにお母さんは皆無。奇遇に近所だったお父さんは、これでもこの地域でだと品がある方に見られたのか、京都出身かと問われる事が何回かあった。真正京都人の方からするとちゃんちゃら可笑しいと思うが。そもそも、京都人=品という発想がもうダメ。

 

 当然、同じ所で育った我が弟、二人にとっては叔父さんも品は無い。しかし、妻である叔母さんには品を感じる。

 叔母さんの実家は和泉ナンバー地域外の資産家。農家をされていて農地や山とかを持っているが、地方都市の中心部の駅間近にも広い土地を持っている。そこを駐車場にされていて、その賃料だけで生活できてしまうようだ。伝統構法ではなさそうだが日本家屋に住まわれていて、この家ぐらいの規模がある。そして、しょっちゅう改修されているとの事。うむぅ、羨ましいわ。

 叔母さん自身、非常に遠いのにわざわざ神戸のお嬢様が行きそうな大学に通っていた、と記憶している。品と言うのは生まれ育った環境で育まれる、と叔母さんと叔父さんとお母さんと自身を比べて改めて思う次第。何故、叔父さんと叔母さんは結婚に至ったのか不思議。

 

 そんな叔父さん夫婦はなかなか子供が出来ず、色々努力してきた。その念願が叶い生まれた従弟を伴い、平成28年末に挨拶に来てくれたのだ。

 この丁度一年前、お父さんは叔父さんに住まいの事を薦めてみた。お父さん自身、幼ききょうこにより終の棲家について考え始めた。叔父さんにも子供が出来る事を契機に考えてみてはどうか、と。これは以前にも書いたが一蹴された。租税回避云々の話だ。

 そんな叔父さんだったが、叔母さんの話によるとどうやら家を見て回ったりしているらしい。しかも、この家のような家屋だとか。よって、奈良の山奥とか伊勢とか、お父さんも以前にチラッとインターネットで見た地域の物件。叔父さんの場合は実際に足を運んだそうで。

 

 お父さんは、他者に助言や意見をしてそれを後日取り入れていても、取り入れたよと言ってもらえる事が本当に無い。いつの間にか自発的な案の体で聞かされて、正直な所はツッコミたいし何だか寂しく思った事が多々ある。ただ、大人の恰好付けとしてほら言ったでしょ、とは言わない、お母さん以外には。我が弟にも兄として言わなかった。叔母さんの実家の影響もあるかもしれんし。

 ただ、もしそれが実現し、さらには改修しようものなら逃さない。その時は酒を飲みながら大人げなく言ってやろうと思う。言った通りにしたな、と。それが楽しみだ。

 

平成28年のきょうことりょうすけ

 さてさて、チムニー施工を終えたのは平成28年の終わり頃。この一年前に行った作業は炉床に当たる箇所の束石設置。一年の時間を要して薪ストーブ関連施工の地面から屋根上に。見渡せば、所々の変化はあるものの一体この施主施工はいつ終えるかさっぱり分からない現場状況。この手記は家族史要素もちょっとある。施工の進捗具合に比べると家族の変化は著しい。ちょっと書いておこうと思う。

 

 りょうすけの誕生により、人間の性格は後天性だけでなく、いやむしろ、先天性の方が強いのではないかと思わせられた。明らかにお父さんやきょうことは違い、今の所はお母さんの要素が強いように見受けられる。

 まだまだ幼いながら既に嘘をつく。怒られると、それを回避したり受け流したりする。一方、自己主張も我も既に強目。自分がしたい事や要求に対して、あれこれ駆け引きをしてくる。お父さんの友人曰く、既に営業マンの素質があるじゃないかと。やはりお母さん似か。

 

 本年に幼稚園入園。近所で遊べる同世代はおらず、初めての友人や団体生活を送り出した。お母さんのお母さんであるおばあちゃんは、従弟がそうであったように登園を嫌がらないか心配していた。送迎役のお父さんの目が厳しい事もあるのか否か、それは杞憂に終わる。幼稚園にて色々学びが多いようで、日々成長を感じる。

 

 ただ、この私立幼稚園の選択はイマイチだったと思う。若い先生が多いがこの質が疎ら。接していてそうよく思う。理事長親子が教職者と言うよりも経営者か事業者要素が強そうな出で立ちだったが、まんざら外れた見方じゃないと思う次第。他の幼稚園も検討したがそこもイマイチ感一杯。

 きょうこの幼稚園は転居前も後も公立だった。転居前の市の教育委員会は、イジメがあってもそれを学校の責任にするな、と入学式で高らかに宣言するような所。実際に現場の教職も受け流しやほったらかしにしている、という保護者の話。そんな市の幼稚園であるが、違和感なく真っ当で良くしてくれたと思っている。今の市はそれを上回り、担任教諭も園長も親身さが違った。

 しかし、それに比例してか保護者の行事活動の参加をよく求められる。遠いので送迎も親が行う。二年間しか通えない。そういう事へのお父さんの対応力不足で、バス送迎の三年保育である私立を選択せざるを得なかった。

 

 りょうすけの幼稚園は、比較的裕福な家庭が通う所らしい。だが、高めの授業料以外にその理由は今でもよく分からない。幼稚園の授業が終わっても課外保育と称して預かってくれる。これも選択要素だったが、実情は狭い部屋に30人以上の園児を詰め込んで、ガサツっぽいおばちゃんを含めた少数の教諭で見ていた。当時は入園したばかりという事もあってか、そこに一人でポツンと座っているりょうすけ。家に帰っても一人だけになるのでと預けてみたが、その姿の方が何だか不憫に思え課外保育は止める事にした。

 嫌がっているわけでもなく気を良くして登園しているからまぁ良い。だが、何かあれば転園させる気満々だし、人に聞かれたら絶対勧めない幼稚園。

 

 きょうこは、幼さは残るものの、見た目も言動行動もかなりお姉さんになってきた。家事だけでなく施工も手伝える事が増え、内心はどう思っているかさて置いてやってくれる。特筆するのは、りょうすけの下の世話もやってくれる事だ。下着の着替えの手伝いだけでなく、入浴前に股を洗ってくれる姉。お父さんの知る限りでは、年の差が大きく無いのにそんな事までしてくれる姉は知らない。少なくともお父さんの姉は全くしなかったし、お父さんも弟にしていなかった。お母さんも自分の妹に同じくしていない。

 

 そんなきょうこは今年、初めてお父さんに嘘と分かる嘘をついた。メダカに餌をやっていないのにやったと言った事だ。きっと覚えていないだろうな。

 それまでも嘘をつく事はしていたかもしれない。いや、しているのだろう。でも、その確証が無いのに疑う事をお父さんは嫌い、きょうこが言う事は一様に受け入れてきた。今回は違う。餌をやっていない事は明らかであり、その行動の結果が命に関わる。実際にメダカの数は、餌だけの理由じゃないかもしれんが激減している。よって、お父さんは激怒した。自分の意思決定に反した無責任行動の結果を知らしめる為だ。

 

 ただ、親に対して嘘をつく事など当然の如くお父さんもしていた。あのお母さんもきっとそうだ。メダカの命と言うなら、保護者としてお父さんかお母さんも影で見ておくべきだった。そんな事もあるので、説教は親の責任として行ったが、落胆したとか見損なったとかではない。そうではなく、きょうこが大人になっている事を目の当たりにしたような気がしたのだ。とうとう父親に嘘をつく年齢になったのか、と実感したのだな。平成28年のきょうこに対しての一番の思い出がこれなのだ。