家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

情報化社会での価格

 屋内に雨が降る様な事態になったのは、ひとえに雑な雨養生が故。では、何故雑にしたかと言うと、チムニーの雨仕舞施工がもっと短期に終わると読んでいたから。その為に倒木処理作業の予定も入れてしまった、屋根に穴が開いたままなのに。何の工期を読み違えたのかと言うと、板金施工。本施工において新工種。

 

 件のリン脱酸銅板。平成28年現在、建材の通信販売の成熟度はまだまだ疎ら、という感を抱いている。一般消費者相手では無い材が多いから仕方ない。お父さんが知らないだけかもしれないが、きっとこれもそうではなかろうか。取り扱い業者の選択肢は片手以内、見積額差は大きく違ったりする。

 

 ここで思い出すのが友人の話。平成時代後期の話であり、二人が大人になった頃には消え失せた話かもしれない。

 友人の元勤め先はB to B、昔ながらの取引先により全売上が立っていた。しかし、右肩下がりが甚だしく、高齢社長がインターネットを取り入れて広くアピールするとして、その担当として友人を呼び寄せたのだ。

 そこまではよい。いざ、検討し始めると方針がブレまくり。駅や電柱の看板よりは説明文と写真が多い、というチラシか会社案内冊子程度のものに落ち着きそう。小売りや市販を視野に入れるなら価格のせめて目安は掲載すべき、等と友人。でも却下。既存の取引先の手前それは出来ない、等と社長。要は、取引先によって価格が違う事を秘密にしておきたいとな。繰り返すが、情報化社会と言われ久し過ぎてもう特段言われていない平成時代後期の話。

 

 インターネットを新規開拓営業マンとするのではなくただの看板で良い、攻めずに受注を待つ姿勢。一体、誰をターゲットにしているのか分からん中途半端さ。その状況下でその友人は、サイトの装丁やら内容やらをそれはそれはオシャレでカッコよく、自社商品は特殊熟練技術の上で拘って作っており素晴らしい、と嘘八百を並べて謳うしか手が無かったそうだ。それが功を奏して問い合わせが何件も来たが、社長は新規見込み客を一見さんだとして高値見積。問い合わせ数に対して成約数は僅か。

 新しい事と古い事の両立は人に依るのか加齢と共に難しくなるのか、という典型的お手本と見た。ちなみに、その友人は暫くして退社。

 

 リン脱酸銅板見積で高い提示だったのは建材商社っぽい企業。安い方は建材屋さん。あまりの価格差に不安。何か問題が起こる予見は、結構この点から出来る事が多そうに思う。ただ、本品は、固定費が違うとか以前の問題だろうな、とお蔭様で想像したので建材屋さんに発注。

 それでもちょっと不安。銅板を見ただけで「これはリン脱酸だな」なんて分かったらお父さんは変態だ。建材屋さんの悪意の有無はさて置き、普通の銅板を送ってこられても判断出来ない。それなら最初から普通の銅板を発注する。いくら安いと言っても普通の物よりは高いからな。

 で、届いた梱包を見て安心。天下のスリーダイヤモンド製と段ボールへの銅種明記。多分大丈夫だろう。これで、それでもわざと普通銅にされているかもなんて考える程、さすがにそこまで世を悲観していない。

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屋内に雨が降る

 家屋に明るさを取り入れる。これに一部の設計者の方々は日夜奮迅されている。土地は狭いわ、施工費は高いわの日本の新築家屋において、一つの解とされていそうなのが、中庭。そこに樹木を置くと、採光だけでなく緑も屋内に得られる算段との事。密集地の余裕が無い土地にてのそういう家屋の事例は、マスメディアによく取り扱われている感がある。

 

 それに触れる度に思い出すのは、世界的に有名な日本の建築家による住宅。

 研究者でもなく不勉強のお父さんのぼんやりな俄か知識だと、その建築家がまだ世界的とまでは行かなかった頃。既に国内では耳目を集め始めていたが、その多くの仕事は非住宅。その建築家に住宅設計を依頼する方もおられたが、自分の設計する家は住みにくいとして断っていたと。

 それでも構わないという施主の熱意にほだされて出来上がったのが、屋外がある家。細長い敷地に目一杯に建つその家は、勿論細長い。しかし、敷地手前と奥が別棟になっており、その間は外部。屋根は無し。雨天に家屋内を移動する際には、傘を差すか濡れるかを要す。しかし、それまでのウナギの寝床家と違い、奥に行くほど暗いとか密閉感とかは無い。

 この設計に関しては賛否両論。と言うかそれまでも建築家界からは異端と扱われていたっぽいだけに、非難轟々の方が多かったと聞いたような気がする。しかし、その家の外部箇所に屋内廊下を作ると先述のよくある中庭家屋になる。自然と暗くなってしまった古くからある日本の住宅事情を仮に伝統とするならば、それを打ち壊した事例ではないかと思う。伝統では間違いなく無いと考えるお父さんの場合、打ち壊したではなく暗さからの解放と見る。

 

 好意的な書き方だが、お父さん自体は屋内移動なのに一旦外部に出るのは好まない。門屋を仮住まいとしてから早二年ばかし。キッチンは母屋、トイレや風呂や洗面は母屋のさらに奥の別棟。寝床からトイレに行く時に季節を感じたり月の満ち欠けを愛で、なんてのは特に要らない。そういう事を感じても飽きた、と言うか面倒さが先に立つ。花鳥風月な人間でないのかもしれない。そうでなくとも、土や木や漆にて気候天候をこれ程意識する時間は過ごした事がなく、それに振り回される事に食傷気味。農業等にも向いていない人間かもしれない。

 

 そんなお父さんにやってきたのが、雨漏り。いや、屋内に雨降り。見慣れない、というか初めてで斬新な光景。さすがに件の有名な建築家でもこういう事はやらんだろうな。

 

 チムニー施工にての懸念の一つが雨天。屋根を開口するタイミングは週間天気予報と睨めっこ。一週間程雨が降らないと助かるが、予報は数日空けては雨が降ると言う。この時ばかりは予報が外れろと都合良く思うが、そんな虫の良い願望は通じない。では、雨養生をしっかりやれば良いのだが、その為にまた資材購入が必要になってくる。今あるものでする、それでも屋内が濡れても全てが工事中なので構わない、と無理矢理割り切った。

 

 案の定、雨に伴う風によりビニール養生は剥がされて、一階の炉台にまで水浸し。濡れた瓦屋根に立つ事は、屋根上でアイススケートするようなもの。ただただ二階内で水を留める事しか出来ない。

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 ヤル気が無いとかで手を抜く。それにより問題が発生。結果、また気が抜ける。雨とか気象庁とか何かの所為ではなく、大抵の問題は自分が原因。斬新でもなく平凡な事象。分かっちゃいるけど直らない。

 

室内明るさ考

 それを経ての野地バラ板の切断、そして開口。すると、母屋二階が見知らぬ空間になった。明るくなったからだ。この前後の違いには驚いた。

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 家の中は明るい方が兎に角善。そう考える女性は多そうだ。家探し初期の頃のお母さんも例外なく。

 昨今の戸建住宅は庇が短いだけではなく、庇そのものが無い家屋は結構見受けられる。寧ろマンションの方が、上階のベランダという庇の働きをするものがあったりするよな、なんて思ったり。戸建供給者側は庇が無い方が何かと都合が良い。簡単だし安くなるし。

 その上で明るい方が兎に角善である、という需要者側の要望。思惑は違えど結果的に利害の一致、何ら問題ない。一代限りと割り切っていて、老後にも同じ供給者等に補修代金を払う気満々なら全く良い。例えば、施主の為と思って長い庇を説いてもウザがられた、という供給者がおられたりもするご時世のようだし。

 

 一方である人は、明る過ぎる住宅はどうなんだと辛口批判をしている文言を見受けた事がある。あくまで読み手のお父さんの解釈だが、その批判的な人からは「日本の家屋は暗さをもって旨とすべし」的な意図が汲み取れた。何故そう思われたのかは失念。と言うか、その根拠の意味が読み取れない。

 それに拍車をかけたのは、その人自身は天窓を作ってご満足、という言動不一致さ。お父さんの読解力が足りないとかで思うのか、そういう事がそこそこ見受けられる。ツッコミを入れると後にツッコミ返しを頂いてしまうのでそれを避ける為にも書くと、「過ぎるは駄目だがある程度は」がきっと真意だと解釈してみる。その天窓は直射を和らげて日光を入れるようにされているからだ。

 ざっくりだがそんなわけで、「兎に角明るい」と「ある程度明るい」が二大派閥かと思ったりする次第。

 

 さて、お父さんの場合はと言うと、家屋の傷み等は勿論の事、暑さが嫌なので明るいのは嫌。暑くない事が兎に角善。明るさは二の次、三の次。特に照明と違ってエアコンは、自由に設置しにくそうなこの家屋だと尚更。そんなわけで、明るさの過小は特段考えない。

 

 一応言うと、暗さを良しとも別に思わない。「日本家屋は暗さをもって旨とすべし」も微塵も思わない。それはあくまで「夏をもって旨とすべし」の結果論の一つであり、よくある懐古主義的思考と考えるからである。

 洋の東西問わず、昔の家屋は建築技術的に暗くなってしまうのであって、意図してやっているわけではない。例えば、宗教施設での神秘性等々の演出で「光の西洋」と「闇の東洋」の違いはある。そんな文化面等から「日本」の個性として挙げたくなるのは分かる。

 しかし、文化発展を牽引してきた権力者や大金持ちでも、建物内を必要に応じて明るくしている。文化を底辺で支えてきた庶民には、暗さを旨とかそんな事は関係あらへん。特定少数者が意図したわけではなく、庶民は明るい家屋に出来ないし、出来ても不都合があるから結果的に暗くなっただけ。はい、以上。

 

 話を戻すと、採光を気にしていなかったお父さんは、開口が出来た二階に居ると不思議な感覚に襲われた。

 お父さんはそれなりの年齢まで連棟家屋に住んでいた。狭い家屋にも関わらず居間は昼間でも照明が必要。家屋内に明るさを求める人は、そういう環境で育ってきた反動があるかもしれない。明るさを重視するのが女性に多いのは生命防衛反応か。暗さには、不衛生さや害虫や菌の繁殖等を連想させる所があるし、現実にそういうものへ寄与する。生存本能で感じている所があるのではなかろうか。

 

 至って男のお父さんの場合、それとはまた違う空間の感じ方がした。拡がりだ。

 広く感じた、というのとはちょっと違う。上手く表現出来ずに大袈裟になるが、自身の内が横にも上にも大きくなる感覚だ。これは写真では感じないし、それが当たり前の環境でも分からないかもしれない。普段はオフィスワークや都心で仕事をされている人が、休日の余暇として自然に触れた際に味わうような感じに近いのかも。

 

 アウトドア好きではないお父さんもちょっと天窓設置欲が湧いたが、結論は却下。予算と瓦屋根への施工からだが、それ次第ではもしかして復活するかも。

 そんな逡巡を経て、チムニー躯体をきょうこに手伝ってもらいながら設置開始。

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 躯体はどうしても、躯体から見て水上側となる丸太母屋に掛かってしまう。一階の梁と煙突との距離確保を最優先に、薪ストーブ設置位置と同じくチムニー躯体位置も決定している為。

 この問題も長らく解決しなかったが、ここで逆転の発想っぽい事を浮かぶ。もう一つの問題、チムニー躯体の固定法。チムニーと直接接するのは、屋根野地板や垂木、そしてその丸太。板や垂木には固定不可だけど丸太母屋に固定出来れば間違いが無い、と気が付く。という事で、丸太母屋を切り欠いて躯体を嵌めて固定する。

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 それでもチムニー水下側は宙に浮いた状態で話にならない。そこで、チムニー躯体を左右から挟み込むように、水上下側の二本の丸太母屋に掛かるように垂木的角材二本を新たに叩き入れた。その角材を四寸釘等で固定した上で、その角材にてチムニー水下側を固定。

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 以上にて、屋根開口とチムニー躯体設置はほぼ完了。凡そ一人工を要す。ある日に突如現れた、という感じの屋根上工作物。日がある内ならこの家屋を遠目から見ても分かる初めての変化。

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墨汁から高層ビル、杉皮から邸宅

 前述したチムニー骨組みを設置する施工を開始。屋根に孔を開ける施工、とも言う。そういう当施工において、と言うか夏休みの宿題の貯金箱製作だろうが巨大タンカーの造船だろうが、手作業工程がある造作物にはまず墨打ちが必須。肝要な作業の一つだ。数百億円等の大きな建築現場には「墨屋さん」と呼ばれる、記憶違いでなければ普段の本業は鳶職かだが、墨を打つ事を専門とされる方がおられたぐらい。その工種により、紙の図面に描かれていた線を実際の躯体に手でもって書き写していく事で、高層建築群が出来上がっていったりする。

 

 本施主施工で高低差が最大の工種、薪ストーブ施工。その寸法、実に8m。そして、屋根、二階、一階と縦に三層が絡むだけに、成否は墨打ちに掛かっているとしても過言ではない、と思う。だが、ただでさえどこかに基準が採れなかったり、屋根を支持する母屋(もや)が丸太であったりするこの家にて、空中に線を出していくのは難儀。

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 既存家屋の採寸作業と3DCADのお陰で、各部の梁をかわしながら煙突位置は割り出せている。これを実際の家屋に、ストーブ設置位置である一階を始点として屋根と二階に反映させる。作業を進めても自分の線が確信を持てない。折角出せた線と、二階床板継ぎ目とが直交や平行で無いと不安になる。丸太材とそれに平行したい線両端部二点と距離寸法に差異がある。脳内で各種調整の上、墨打ちだけに凡そ半人工。建材も施工も機械化著しい在来工法家屋でならこんな事は無いかと思われる。

 

 屋根側をざっくりでも開けておけば、墨打ちにこれ程の時間は要さなかった。しかし、屋根開口は最低限しかしたくなかったので、その直下の母屋である丸太材を屋内最高点として行ったのだ。その甲斐あってか、無駄に瓦を取る必要は無かった。よって、同じく無駄に葺土も。

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 そして、ようやくお出ましの昔の防水材の一種、杉の樹皮。少々これは気になっていた。腐朽具合をだ。

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 引っ越し直後に行った北側物置小屋解体にて、その杉皮は相応の傷み具合があった。また、地面よりもさらに強そうな風が吹いているだろう屋根。一体何だろうか稲だろうかというような植物の茎や葉が、瓦下に盛られた葺土の隙間に結構溜まっている。そういう事もあり、雨水が瓦を逆流していたりもするのではないか。そうであっても別に驚かない。まずその水を吸うだろう葺土はまぁ良い。しかし、その湿った葺土と直接触れ合う杉皮は如何に。水は雨水だけでもないだろうし。

 そういう思索があっての母屋大屋根杉皮とのお目見え。結論はお父さんの杞憂。1cm弱の分厚いそれは、腐朽なんてどこ吹く風といった具合。一部瓦の針金留め等も含め、ちゃんと施工されていたんだなと改めて思う次第。

 

板金材検討

 板金施工と決まっても、どんな板金にするかも考える。

 屋根の板金と言えば鉄。鉄と言っても、今時は鉄板を使う事はあまり無い。ガリバリウム鋼という、あれやこれやメッキされて防食性を高められた物。

 

 これが出てくる前の昭和後期以前に板金屋根と言えば、カラー鉄板と言う塗料のみに頼ったような建材が使われていた。その塗料寿命は大した事が無く、それが剥がれだすと鉄板は錆び始め、見た目は最悪、雨漏りして尚更もう最悪。そもそも施工中の時点で塗装に傷が入り鉄素地が出たまま引き渡し、なんてあるある話。ガルバも塗装は大事ながらその素地自体が違う。

 だけども、そうは言っても新建材。どれほど保つものか。場所が場所だけに、という事で早々に却下。

 

 防食で言うならやっぱりステンレス。高価だから屋根材としては一般的ではないが、当施工ではたかだか知れている。そんなわけで結構悩んだ有力候補だったがこれも却下。というのも、ステンはとても硬いのだ。

 板金施工とは、金属板を切ったり折り曲げたり等をする。しかも、瓦相手。細かい加工が多発しそうなだけに、この硬さは結構問題だと考えた次第。あと、瓦との見た目の相性が悪いし。

 

 そんな事から加工しやすい上に、信頼と実績の銅板に決定。この家では土蔵の屋根が銅葺き。高度経済期の大気汚染を経ても尚、孔も開かずに健在な建材。ステン以上に高価だけども致し方無し。

 

 んまぁ、普通の銅板ならそう及び腰になる事は無かったが、屋根材用と言われる物は高い。それは、リン脱酸銅。

 本職時代のお父さんは、建材の銅はただただ「銅」として何にも意識していなかった。上司からも先輩からも同業者からも、教わった事も聞いた事も無いその違い。当施工検討にて初めてその存在を知った。ただ、ちゃんとは理解していない。建材屋さんが「屋根材にならコレ」とお勧めしていたので、いつもの素直さにて決定。高いけど。

 

 先送りにしていたこの部位の施工法が決定。これを最後としてチムニー施工の全ての方針が揃ったので、前述のように着工した次第。