家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

吐かれた唾を吐き返す

 手間と費用。リビングダイニングの壁仕上材を施工面と予算面から選んだが、ついでに他の居室も含めてその他の面についても説明しておこう。

 

 土壁中塗仕上げの梁上小壁は、元々は繊維壁を含めると、リビングダイニング以外には大玄関と奥玄関と南側の縁側、それに一階トイレにある。これを温存するとなると、その下部の壁も同仕上げとする方針。それ以外の、元々漆喰仕上壁と二階の壁全ては漆喰仕上げ予定だ。

 

 漆喰仕上げを否定する人がいる。これを使用する人間は、時流等に踊らされた知能が低い馬鹿野郎と言わんがばかリの、独断と偏見に満ちた断定表現論による。意味が分からんし分かりたいとも思わない。矛盾に満ちていながら自己の嗜好と選択が絶対的だとする姿勢が見受けられるその文面から、他者の弁を柔軟に聞いてもらえそうに全く無く、得られるものも無さそうなので議論する気はさらさら無い。

 ただ、そういう人もいるのか、と思うだけで収まらず気の悪さが残る。ちょっと大袈裟に例えるなら、通りすがりにそこらで唾を吐きかける人間を見たような気分。自由に唾は吐けばいい、自分の敷地内でなら。それ以外で、ましてやあれこれ考えて漆喰採用を決定した我が家に向かっても吐きかけるもんだから、まぁ気が悪い。本当に吐かれると追いかけて行って最低一発はシバクけども。

 

 漆喰という建材は、唾を吐きかけられるような代物ではない。チムニー壁仕上げ材としても触れたが歴史ある建材であり、日本独自に発達した左官法により未だ健在な建材。

 大阪という都会にあっても、周囲を見渡すと内外壁に漆喰が使われている家屋が特にこの地域は多い。詳しく知らずに書くが、漆喰は贅沢建材であったのではないかと思う。漆喰が無くとも家屋は建つ。よって、農民等の庶民は土壁仕上げで屋根は茅なり板なりの家。しかし、有数の商業都市であった大坂は、主に商家を中心に瓦屋根にだけでなく漆喰使用が多かったようで。

 贅沢品を使う事で富をひけらかす、というのは一つの見方。商売においては、ちゃんと利益を出している事に信用性を諮る見方があるのだ。また、漆喰の白さで精錬さを表現していた事も理由にあるだろう。現代はさて置き、昔の大坂商人は兎にも角にも信用第一を旨とする事から、それが漆喰需要にも結び付いていたとお父さんは考える。

 そして、需要ある所には供給あり。大都市大坂には流通体制が確立していたのではなかろうか。この家の地域だけでなく、現在の大阪中心部を含めた色んな所で、文化財的豪邸だけでなく普通の寺社仏閣や普通の古民家にも漆喰が多用されている事が見受けられる。現代家屋の内壁仕上げまで含めると、漆喰は昔ながらの建材は言うに及ばず、今でも左官材として揺るぎない。

 

 また、現代における特有の存在、自然素材原理主義者の方達も認めるはずだ。

 西洋漆喰とは違うと書いたが、漆喰の元祖は石灰石という鉱物ではなく貝殻から作られていたようだ。貝料理中に過熱してしまったとかの失敗から生まれたのかもしれないな。洋の違いは貝殻の違いを指しているのだろうか。石灰石自体が海底の堆積した貝殻からでも出来ているようなので、案外それはあるのかもしれない。火を用いて意図的に化学変化を起こし、空気中の二酸化炭素にて元に戻る事で自己硬化する気硬性建材。疑いようが無い自然素材だ。

 

 左官仕上材として新参者に珪藻土がある。これは珪藻という藻類の化石の堆積物だそうで。これは自己硬化しないので合成樹脂とかを入れたりする。そのような加工をしている事もあってか施工性は良いらしい。

 この材を否定するつもりはサラサラ無い。お父さんがまだ中年腹が出ていなかった頃、珪藻土の利用を模索する人達の事が取り上げられているテレビ番組を視た記憶がある。その後暫くして腹が出た頃には左官材として名を聞くようになり、今や確固たる地位を得たような感がある。これは商業目的有りきとして生まれた新建材、と言えるかもしれない。

 

 ただ、自然素材原理主義者には容認されなくても、お父さん自身は唾を吐きかけない。吐きかけるとするなら、それを室内空気を清浄する完全な自然素材建材風に謳う悪意的業者や施工者、そして不勉強が過ぎる施主に対してぐらいだ。

 利用価値が低かった珪藻土を左官材として、樹脂等で固める利用方法を編み出し、施工性も得られるようにし、それを宣伝し流通網に載せていく。関係各位のご奮闘を考えると否定する気にはならない。勿論、同情論だけでない。これを否定する事は、同じく資源の有効利用と消費者の経済性の求めに応じる建材、ベニヤや集成材を否定する事になる。どちらかを自分は採用しているのに一方を否定するのは矛盾野郎だし、ましてや漆喰否定は有り得ん。

 

 そもそも建材選定は施工者と施主が行う事だ。皆が皆、土壁や漆喰仕上げ等にしたいと思っても出来ない。時間と金銭により石膏ボードの壁となり、せめて風合いだけでも自然素材を使った物にしたい、という施主の心情を誰が責められると言うのか。勿論、件の漆喰否定論者も資格は無い。その論者が、仮に何から何まで完全自然素材家屋を有していれば言いたい気持ちは理解が出来る。だが、それでも他者の選定材を否定する程の立場には無いと思う。そんな漆喰否定論者を否定してやるぞぉ。

 と、読み手の二人には甚だ迷惑かもしれないが、ようやく吐かれた唾を吐き返してやった感がありお父さんはちょっとスッキリしたな。