読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

 さてここで、自分の話をさせてもらう。きょうこやりょうすけは承知している内容かもしれない。なので、これはまたもや二人以降の代向け話であり、またもや一人称はおじいちゃん。

                   

 以前にも触れたが、探検さんのおじいちゃん評は多分、細かい、神経質、厳しい、といった感じだと思う。良く言えば、きっちりしていて中途半端は嫌い、となるのかもしれない。現場を見てとの事だったが、ご覧になられているとの事なのでこの手記も影響している、かもしれない。となると、この手記でのみおじいちゃんの人となりに接するかもしれない子孫も同様の感想になる、かもしれない。「かも」ではなく「そうだ」となると、打って変わって適当な施工をしだしたおじいちゃんは一体何なのだ、と思う「かも」しれない。

 

 おじいちゃんは端的に言えば、加減や調整が下手くそだ。年齢を重ねる度に自分がそういう人間だと思い始め、20代の時にそれは確定して動かず。どうだろう、そういう自覚を持つ子孫はいるだろうか。もしいているなら、おじいちゃん譲りで遺伝子レベルの宿命じゃなかろうか。

 

 世の中にはこれが長けた人がいる。姿勢や立ち振る舞いは、基本的に力まずに飄々としている。しかし、必要な事はしっかり抑えてこなせられる。他者への介入はほぼしない。だけど、一言二言しか無い発した言葉は、しっかり相手の心に届いてしまう。

 こういう人が20代の時の同世代にいた。彼はさらに爽やかで男前。将来に対して迷走中だった当時のおじいちゃんはそれも手伝ってか、もう内心では妬むわ羨むわで憤死しそうだった。ここまでとは言わないが、おばあちゃんの妹の夫、おじいちゃんからすると義弟もこういう人柄と映っている。憤死しそうにはさすがに思っていないが、純粋に羨ましいと思ったりする。

 

 そう、問題が分かっていてもどうこう出来ないおじいちゃん。よくよく見ると、おじいちゃんの親も似た匂いがする。遺伝子には容易に勝てない。自己嫌悪真っ逆さま。しかし、それで諦めるのは知恵ある人間として芸がない。そこで、自分の細かい所等を短所としていた見方を抑え、長短表裏一体だとした。細かいの裏返しはきっちりしているという事だ、と。これは以前にも書いたが、おじいちゃんの中では非常に重要な事もあり再びだ。この思考の切り返しに20代前半の数年をかけて到達、そこからは自己嫌悪は弱まった。これがなければ、間違いなくおばあちゃんと結婚には至っていない。

 

 この切り返しには副産物があった。おじいちゃんの中の怠惰さや適当さを抑えるという効能だ。おじいちゃんのこれは、工期に迫られていなくても木の隙間にコーキングを打つような類のものだ。この手記でそのような行為を愚行として挙げたが、おじいちゃんはやり兼ねない人間なのだ。しかし、細かく神経質で厳しい状態にあるとそれは自分の怠惰さ等に向き、それに枷を嵌められるのだな。

 副産物だけでなく副作用もあった。この状態を長い期間や困難な環境で維持し続けると、溢れ出して外部に漏れてしまう。他人様にもそうだしおばあちゃんにも、適当な施工品質で良しとかしているとイライラする。間違っていたり自分とは全く違うが断定している等々の理論を繰り広げたりされてもイライラする。よって、玄人だろうが素人だろうが、もう他人様の本音本性かカッコ付けか分からないような内容のブログは一切読む気が無くなった。もし読むならまだまだ無知な銃や狩猟か、ワンちゃんネコちゃん物にして癒されよう。

 

 そんな中で、張り詰めていた漆施工の結末の余波で枷が外れた。途端に巷の施主施工者平均よりも劣ると思われる適当施工を実施。憧れたような人物には一切近づかないようだし、この歳ではまだまだ悟りを開けそうに無い。ニンジンにしていた猟銃と狩猟の資格期限が見えて来て、きょうこはそろそろお年頃。屋根の上で冬風に耐えながら、早る気持ちと休む気持ちとの狭間に揺れていたおじいちゃんでした。

 

広告を非表示にする