家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

通信昔話

 ヘラと刷毛、その他含めて道具は揃った。後は材料である漆があれば、とはいかない。肝心な「塗り方」という知識が必要だわさ。

 

 ここで昔話。インターネットや携帯電話という物が本格的に普及し始めたのは、大体平成7年頃からだろうかね。1995年だな。

 ちなみに、携帯電話が本格普及するまでは「ポケットベル」という物が連絡ツールとして主流だった。それには固有の番号があってその番号に電話を掛けると、電波圏内であればそのベルが鳴るというハイテクノロジーなマシーン。鳴らされた人は、取り決めていた場所に電話を掛けるのだ。外回りの職種の方とかが鳴らされると自社に電話を掛けて連絡を取り合う、とかだな。その為、小さな会社であっても電話番になる人が必要だったりした。

 

 ただただ音が鳴る物だったマシーンが、後に数字表示が出来るようになった。発信者により電話にて打ち込まれた数字が、彼方の相手のマシーンに何と表示されるのだ。事前に数字と文字の適合表を発信者受信者双方が持っていれば、これでもう意思疎通が出来ちゃう。お父さんの場合は「11」は「あ」、「12」は「い」等としていた。「15239493」で「オクレル」とか。

 音だけマシーンはカタカナ表記が可能になった。これで適合表は不要。と言うか、お父さんが作っていた適合表通りの入力方法だった。近くに公衆電話さえあれば、例えば待ち合わせに遅れそうになっても相手方と連絡が取られる。通信連絡方法と言えばそれまでは固定電話しか無かったが、相手の親御さんを気にせず夜中でも相手と意思疎通が出来てしまう。青春時代を過ごしていた当時のお父さんにとっては、とても画期的なマシーン。

 これ以前は、待ち合わせをする場合は事前の段取りが重要。すれ違い等があって出会えなかった場合は、駅に設置されていた黒板にメッセージを残したりした。そう、全てではないかもしれないが、国有鉄道の駅にはわざわざ黒板による掲示板設置サービスがあったのだ。今のJRと違って無愛想な駅員が多い記憶ばかりの国鉄の駅にだ。どうだ、時代を感じるだろうぉ。お父さんにとっては昔話だが、二人にとっては歴史話だろうぉ。

 

 インターネットについては、本格普及と言ってもその頃は有線のアナログ電話回線。インターネット接続する際にはパソコンが電話を掛けるのだ。大袈裟とか比喩とかではなく本当の話。発信音がピポパとまず鳴る。その後暫くして、ピィ~ピョロピョロピョロ~な感じの音も鳴ってようやくインターネットに繋がる。本当にパソコンのどこかからそういう音が出ていたのだ。

 繋がっている間ずっと市内通話料金が加算されている。よって、電話代請求額を見たお父さんのお母さんからは度々怒られた。お父さんも知らない昔の電話の掛け方は、交換手を呼び出して相手方の番号かを伝えて回線を繋げてもらっていたらしい。この方法はとんでもなく大昔な感じがするが、二人にとってはこのピョロピョロなインターネット話もやはり訳が分からん大昔なんだろうな。

 

 インターネットで個人が発信する方法に、ブログやらツイッターやらフェイスブックやらというものがある。これらより前には、「ホームページ」と一般的に呼ばれたサイトによるものぐらいだった。当時も今も、大多数の人のその目的は多分だけども「承認欲求」を満たす為じゃなかろうか。誰かに認められたい、という人間的なやつだな。

 それまで使った事がない高額なパーソナルコンピューターを操り、さらに高額になる通信料金を払う。本格普及期初期には見出されなかったこの欲求を満たす為に、諸々負担される人は少数派だったのではないかな。理系学生だった当時のお父さんは、使い道が明確にあって購入。ちなみに、HDD容量でいう所のGB単位は最高位機種、それは高くてMB物にしたな。一方で、仕事用ではなく家庭用として大枚をはたいて買ったコンピューターなのに、使い道が見当たらずガラクタにする大人の方は結構多かったようだ。

 

 そういう当時に既に大人だった上の世代の方は、お父さんからするとパックリ分かれているように見える。仕事等を通してパソコンを道具として一定以上使いこなせる方と、パソコンを魔法の箱と勘違いしたまま傍観してきた方に。二人が大人になった頃の割合とは全く違うはず。

 後者の方は、パソコンだけでなくインターネット環境に接続する必要が無いまま事が為した方々ではなかろうか。情報発信や受信をする立場でもなければ、その必要性も感じ無い。情報ツールが台頭してきた頃には既に今のお父さん並みの歳。故に尚更、必要性を感じない新たな道具の為に、時間を割いて学んでみようなんて思わない。

  お父さんもインスタグラムとかを新たにやろうとは思わないし、この手記をネットで公開しているにも関わらず、ネットを通して承認欲求を満たしたいとは別に思わない。そんなお父さんなので、致し方が無く当然の事だと思う。「老いる」とはこういう事だろう。