家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

施主施工のもう一人の主役

 さて、今回はおばあちゃんの事を書いてみようと思う。今までおばあちゃんの事に触れている内容と言えば、おじいちゃんがボヤいているものばかり。これを具体的な事例としてじっくり書いてみる。おじいちゃん自身と同じく人間臭い所を取り上げて、おばあちゃんの人となりが伝われば良いなと思う。

 

 それともう一つ。おばあちゃんの話を通して、初めて施主施工する場合の盲点の一つじゃないかと思う事も書いておく。それは、施主施工家庭が抱える恐れがある事だ。本施工の主体者はおじいちゃんだが、紛れもなくもう一人の主体者はおばあちゃんだ。彼女に触れないわけにはいかない。

 

 施主施工を行うご本人やご夫婦等の存在は、インターネットにて一定数の認知をしている。それらの内容からはほとんどは夫婦円満、家庭円満な雰囲気が漂っている。少なくとも波静かな感じ。しかし、それは本当の姿なのだろうか。恥を表に出さない節度をお持ちなだけで、結構な程度と頻度で揉めているのが実情、というご家庭も少なからずあるのではなかろうか。

 おじいちゃんも自己発信したいだけで書いているのなら、余所行きの文体と内容にて書き連ねるだろうな。大多数の不動産業者や施工業者を批判する内容も敢えて書かず、いかに自分が紳士的で善良かつ温和な人間かと嘘八百並べ立てるかもしれない。一応言っておくが、実生活で他者と接する時、行儀よく節度ある本音と建前の使い分けるたしなみは知っているぞ。

 

 ただ、そうしてしまうと本当に伝えておきたい事を伝える文章力が無いのだ。自己発信目的の他人向けならそれで全く構わない。しかし、我が子孫への手記にて格好をつけた内容には出来ない。失敗や過ちを回避したり糧にしたりして欲しい、そう思うとおじいちゃんの場合は本音が主体となってくる。

 

 自分と自分の家族の為に家を取得するという、世間一般の家庭にある営みだけでもそれなりの精神的負担がある。施主施工、特に大規模で長期に渡る施主施工となると尚更、家庭内に大きな影響が巻き起こる。埃が舞ったり、片付けが出来ない等の物理的な事だけではない。一般家庭内に千万円単位の大規模プロジェクトを立ち上げるのだ。これらを初めて行う場合は特に、その事柄の大きさを予想出来ないのではないかと思う。

 

 分かってもらえているかもしれないが、おじいちゃんは意識してこの点も書くようにしている。具体的に言うと、施主施工を勧めている一方でその大変さも書くようにしている。良い面しか書かないのは子孫に無責任だと思っているからだ。孫に勧めて実行した結果、配偶者や曾孫達が訳が分かっていない状態でしんどさを被らせる事になると、張本人のおじいちゃんとしてはやるせないのだ。