家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

郷土史的な話

 工事とは関係ない話。

 

 年末恒例、氏神である地域の神社のお札が我が家に配られる。配られる、と言っても有料。引っ越しした年の末、氏子のお役の方がどうかと来られた。対応したお母さんがよく分からないままお札を受け取ってお金を払った。多くの現代日本人と同じく、お父さんもお母さんも宗教儀式やイベントを行ったり享受するけど無宗教。だけども、この安易な対応で知らない内に晴れて氏子となっているのだ。

 

 ある一神教は、「神は唯一俺様だけ」「信じる者しか救わない」と言うのに、何か災難があると「それ、試練だから」で片づけられて、よく知らないお父さんからすると何だかご都合主義な感じを受ける。日本に根付いて長い仏教は、その長さ故か歴史的にかなり黒くて暗い部分がある。言い換えると、その時代やその人によって良くも悪くもなる人間的過ぎる宗教のイメージ。ちなみに、お爺ちゃんの葬儀や法事での坊さんもかなり俗世な人間で、微塵も有難みを感じない。その法事に出席するお父さん達全員の方が聖人に近いんじゃないか、と思ってしまう程。

 一方、神道は土着の宗教の為かしっくり来る。歴史的にもブレなかったように思う。なので、悪いイメージが無くて良いイメージしか無い。そんな事から、氏子になっても構わないかな、と思っているのでそのまま。

 

 そんな経緯でなった氏子にも、当然区別なく寄進を求められる。社の屋根改修を行うとの事。今期のそういう役廻りに当たっておられるのがお隣さん。非常に言葉を選びながらのお声掛け。氏子と言えども皆がしっかりした金額ではないそうで。複数万円の方を最高額として、千円単位の方、そして無しの方もおられる。気持ちの物だけに強くは言えないけどもお役は果たさないと、というお隣さんのご心情が伝わる。

 氏神やら神社やらは地域文化を担ってきて、これからもそういう物であり皆で支えるものと思う。なので、少しばかりながら寄進する事にした。

 

 その際に、お隣さんの奥さんがこの区域の昔話をしてくれた。

 以前にも述べたかもしれないが、この地が拓かれたのは鎌倉時代末期か室町時代初期頃。有名な武将のご家来衆のお一人が拓いて、そのご子孫はこの区域の中心地にあるあのデカくて立派なお宅の方。この区域の二大名字の一つのご本家だ。もう一つの名字の方は、どのような経緯で入植されたのかは未だに謎のまま。

 

 で、新しく聞いた話が、古いご近所さん同士はご先祖名で呼び合ったりするらしい。「○○衛門さんの所」というような具合で。

 二代前までの名しか知らないお父さんにしてみれば、これにはかなり驚いた。同じ名字の方ばかりで、ちょっと離れたお宅への道を聞かれてもさっぱり分からない。その上、ご先祖名だとかになると新参者のお父さんやお母さんにはもうお手上げ。

 

 そんなこの区域を中心に村落が周辺に拡がって行ったようだが、それを顕著に表すお話も伺った。

 幹線道路からこの区域に入って来た所に川があるだろ。近隣の他の地域の方は、あの川を渡ってこちらに来る際には服装を整えたらしい。この区域は由緒ある所として扱われていたようだ。この区域の人ならと、娘全員を嫁がせるとかもあったらしい。

 

 この面影は少し残っているものの、これからどんどん消えていくんだろうな。お父さん世代の子孫の方達は、ご先祖名で呼び合わないそうだ。結婚にて名字が変わって住まわれている方も結構おられる。そして、古くて大きな屋敷がまだ群を成してはいるが、これも崩れつつある。

 

 このような類の土地の話は、時と共に、代が変わる毎に失われるもんだ。なので、この家の事と含めた記録としておく。