家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

失意からの怒涛の家さがし

奈良の不動産屋氏はお父さんが動き出してから、元付業者に連絡を取ったのである。

同氏が失態と自省されたのはおそらく、お父さん達が動き出す前から動向を掴めておかなかった事だ。掴めておけば、もしかしたらこちらが先手を打てたかもしれない、と考えてくれていたのかもしれない。

 しかし、お父さんは一切責めなかった。

もし動向を掴めていたとしても、それが売主がまだ弱気じゃない時期であれば、これ以上の予算引き上げは出来なかったので結局成約しなかったと思う。そもそも、再開までに売れていれば諦める、と腹を決めていたからだ。

だが、相当時間や手間をかけたその分落ち込んだ。生駒の傾斜地の比じゃなかった。ヤル気を失いかけた。
 さてどうしたものか。ここで落ち込んで立ち止まっていれば、おそらくそのまま進めなくなる。そう考えたお父さんは、ここから怒涛の家さがしを始める。

 
近鉄生駒線沿線への固執は既に放棄していたが、奈良中央部、北摂阪神間も検索対象とし、それでもダメならずっと避けていた南河内泉州地域も探しだす。全てを見て廻る事は出来ないので、流れ作業のように机で出来る事は全て行って篩にかけていき、絞ったものは現地に行く事ほぼ毎週末。

 この時期だけで、相当数の資料吟味と現地確認を行った。立ち止まれなかった。

 数を見まくった事で学んだのは、自慢とかでは全くないが、当初の家さがしの条件は間違ってはいなかったと思う。

 例えば、条件を緩めて旧「新興住宅街」にも複数行ったが、お父さんの予算範囲のそこには、改造バイクや車かそれらのパーツが庭先に転がって居たり、ガラの悪そうな若造が溜まっていたりと、ご近所づきあい面で雰囲気が悪い家がそれぞれ必ず12軒以上あった。


 そういう何かしらの問題がある所は行く前に想像が付くようになる為、さらに検索精度は上がったが、それが効を奏して選択肢が消化されてなくなっていく。

 眼鏡に適った物件もあり買付寸前までいったものもあったが、事前値段交渉段階で破断した。しかし諦めない。


 そして、残った選択肢は3つ。


 一つは、和歌山県境に近い大阪府内の
1000坪更地。それが1,000万円以下。

 当然、辺鄙な所であり、接道条件が法的にも物理的にも難しい。しかし、更地の予算内。それに敷地内に森、は無理でも雑木林が造られるのではないか、とワクワクした。木漏れ日の中にある家、良さそうだ。


 もう一つは、開発された宅地群の合間にある昔からの集落の古民家。
程度も悪くはない。もちろん予算内。土地と家屋の規模も手頃な大きさ。

 この頃はとっくに交通はバス便可にしていたが、バス停が最寄にあり取りあえずOKだ。当時の住まいでも車生活が主になっていた事もあって、車ですぐに街中に出られたここはもちろん良しとした。

 そもそも街中はもううんざりしていたので、田園が拡がり、川の畔で静かそうな所が良かった。


 そして三つ目は、この家だ。