家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

皆、老いる。

 安泰とは大袈裟な、と思っただろうか。老後における電化製品対応力は著しく落ちる。懐中電灯だって扱えるか分からないぞ。と言うのも、実例を目の当たりにしたのだ。介護職等以外は、若い時は勿論、当事者にでもならないと想像も出来ないのでは。分かった時は老人になった時。その時に慌てたり困ったりするんだろうな。

 そんな事を書く。お母さんの父であるおじいちゃんが、平均余命とか言うものよりも若く、しかも病気発覚からあっという間に自由が無くなった状態で痩せ衰え、最後には苦しそうに亡くなった事。これはお父さん自身にも本施工にも影響を与えている。それに付け加え、以下の話でも影響を受けている話。死と老いだな。他人事と捉えず、いつかは自分と思うように努めて読んでみて欲しい。

 

 この地を治めていた家系の本家の、ふっくら容姿の上品おばあさん。引っ越して来た頃から声を掛けてくれていた。野菜等も度々持って来てくれたり。

 越して来てから二年後ぐらいだったかな、そんなおばあさんは急激に痩せられていった。口内炎で食事が摂りにくいからとご本人から聞いた。歩き方は弱々しくなり、野菜を持って来てくれる事は無くなっていた。この時期に変化は起こっていたかと今は思う。

 その頃、おばあさんのご主人は体調不良で近隣病院に入院中。そんなある日、その病院に忘れ物をした、主人に怒られるから車で連れて行ってくれないか、と慌てた様子。病院のバスもあるしタクシーも呼べばある。だけど、こういう事を頼める程の関係性か微妙な近所のオッサンに懇願。その様子から只事じゃないのかも、と面喰いながらも聞き入れた。

 

 病院の外で暫く待ち、戻って来たおばあさんに声を掛けると驚かれた。ご近所さんと偶然に出会った、という反応だった。実際は数秒かもしれんが体感は数分、この反応を理解するまでに要した時間。おばあさんは痴呆の気があるのか、と。

 他のご近所や親類縁者は知っていたそうだが、お父さんはこの時に初めて気付く。そうなると、そもそも慌てる程の忘れ物ではなかったかもしれない。経緯説明をしてもよく理解が出来ない様子。しかし、財布も無く手ぶらなのにどうやって病院に来たのか自身でも不思議に思っていたとの事や、呆けた雰囲気の表情から、お父さんがそう言っているからそうなのかもしれない、と自身に納得させている、そんな雰囲気だった。

 

 その後、遠方である国内有数の高級住宅地に住む娘さんの近くにご主人は転院。隣市居住の息子さん一家とは疎遠。一方、娘さんは遠方だけでなく多忙でもあるにも関わらずよく帰って来られる。しかし、基本は大屋敷に痴呆のおばあさんが一人。

 日に日に痴呆は悪化しているように、ただの近所のお父さんにでさえ感じた。近隣には親戚であるはずの分家が多くある。だけども、地域の新参者のお父さんが事ある毎に呼ばれた。その関係性の域を超えそうな頼み事もあったりで、娘さんと相談して対応したりする事しばしば。

 

 何ら悪気の無いご近所さんだから温和な対応だけをしたいけど、時にはやんわり、時には厳然たる拒絶が必要になった。最たるものは、おばあさんに納められた年貢米の買い取り事件。

 その年貢米はかなり美味しく、越して以来喜んでお願いしていた。例年通り、代金を支払って引き取ったものの後日、そのお金が無いが知らないか、何ならそもそも払ってもらっただろうか、みたいな。

 疑われたように感じ、これまで頼み事を無償で引き受けたりした事を踏まえるとショックだった。その心情もあったのだろう、お父さんは支払済の旨を強く主張。おばあさんはスゴスゴと引き返した。その結果、どういう訳だが親戚だと名乗る知らん人から電話を受けたりする。

 金銭授受直後に娘さんは受領の件を本人から電話で聞いていた、との証言によりアリバイ成立、無罪放免となった。 ご近所の分家さんからは、おばあさんとは金銭やり取りは避けた方が良い、との助言。身体は足から、脳はお金から老いが来る、とはお母さん。それら頷ける。そういう事があったりと、勘弁してほしいと思う事しばしば。

 

 そんなおばあさんとのやり取りの一つで、照明が付かないから見てくれないかと頼まれた。ご老人のお困りごとあるあるの電球切れか、と思いきやそうではなさそうとの事。ならば、自宅ではまだ無い電気工事士資格をようやく活かせられる案件か、と少し気合を入れて突撃。だが、問題がすぐに分からん。照明は点くのだ。おばあさんは不思議がる。ペーパー工事士は汗が出る。

 暫く悩んで分かった。当該照明は現在よくあるタイプのシーリングライトで、照度調整は壁スイッチで行う。普通に押せば点消灯するが、連続押しをすると明るさが変わる。意図せず暗い設定にしてしまったのだな。リモコンがあるもののそれもよく分からない。分からない、知らない物は仕方が無い。それは良い。説明をして無事解決。工事士資格は空振り。

 

 だが、解決していなかった。説明した内容が理解出来ていないし、そもそも説明を受けた事自体が忘れ気味っぽい。これにも驚いた。心の内で「マジかっ!!!」とマジに叫んでいた。

 この手の類の事は勿論聞いた事がある。お父さんやお母さんの祖父母の話としても聞いた事は幾度もある。しかし、それを目の当たりにした時の衝撃は、直系親族の事でさえ他人事として聞こえていたのだろう、その時の比ではなかった。

 

 メモ紙を置いたが効果無し。娘さん宛に、紐タイプの照明に変えてあげて欲しいという手紙に切り替え。おばあさんが生まれる前からある、昔ながらの吊り下げられた紐で操作する照明なら問題なかったと思う。その見た目と煩わしさから壁スイッチによる操作が主流となった現代照明は、全ての高齢者には優しく無い。そのような事は想像だにしなかったし、とても出来ない。

 これは他人事じゃない。痴呆になる可能性が全ての人間にあるのなら、全ての人間に起こり得る。点くはずの照明が点かない。このちょっとした事は現状の年齢でも不便だが、高齢になれば尚更。家庭内事故を誘因し兼ねない。高齢者にとってはちょっとした事ではないかもしれない。

 

 その後直ぐ程、紐タイプの照明に買い替えてないと思われるぐらいの後、おばあさんは施設に入った。よって、長らくお会いしていない。

 資産家だから良い施設に入れたかもしれない。裕福だろうから賄える事は色々あるのではないか。しかし、現代医療だと裕福でも痴呆になるし、なったら本人も周囲も大変なのは裕福でも変わらないかも。少なくとも、裕福じゃなかったらもっと大変なのは想像出来るが。