家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

労多くして益少なし、かもしれない挑戦

 土壁の呼吸力、またの名を吸放湿性について、これを神の如く崇め奉るような人達がいる。分からんでも無い、現代人だから。

 この事については、それぞれの立場に依ったそれぞれの主張がある。左官建材の製造や販売業者は、ビニールクロスよりも漆喰や珪藻土が快適かつ健康と謳う。その中でも漆喰取扱業者は、珪藻土は自己結合せず接着剤を使用するので吸放湿効果が無い旨を謳う。珪藻土取扱業者はそれに反論。両方を取り扱う業者は両方良いと謳う。

 

 これらを根本から否定するのが、前述の土壁信奉者かと思しき人達。片や土壁の施工や設計を行う業者であったり、片や土壁家屋の家主であったり。その主張は、所詮は新建材壁に数㎜厚の漆喰等を塗ったって、吸湿容量が微々たる物で意味が無い。下地である土壁があって初めて現実的効力となるのだと。

 

 お父さん、一部を除いて全論に素直に頷けない。前者の新建材壁に薄い漆喰等は勿論ながら、後者の土壁信奉にも。

 と言うのも、居室内湿度をとやかく言うのは現代の気密性がある家屋によって初めて成立する論で、一般的土壁家屋のような気密性の低さだと、それこそ新建材壁漆喰のように微々たる話じゃないのかな、と。

 逆に言うと、土壁と柱に隙間が無く、天井や床にも隙間が無く、外部建具等には基本的に気密性がある物を用いて、高気密かせめて中気密性能がある土壁家屋ならば、湿度論に意味があるかもしれないけども。土蔵ぐらいの気密性なら意味があるな。ただ、快適性ではなく家財等の保存性の為だけどな。

 

 伝統構法家屋の一つの特徴は気密性が低い事。建物にとって通気がある事は家屋の長寿命化に寄与する。故に気密性を求める事は、施工上可能であっても適度な加減を要すると思われる。

 で、そんな低気密、と言うか現在無気密家屋なのに、かつクーラーが無い人生は考えられなかったお父さんなのに、この母屋一階は夏場でも快適な時が殆どだ。雨天等で湿度80%以上に達する時でもだ。

 外気と直結した空間で土壁吸湿性は無意味。吸湿性が高いと言っても、せいぜいその壁周囲に影響するか程度だろう。外気直結空間の湿度で快適性を実現させる程下げる事は、当然実質不可能。

 

 土壁吸放湿性が発揮されない家屋に関わらず快適性を得られるのは、なんて事は無い、単に温度計の数値の低さだ。

 夏を持って旨とすべし、で造られた家屋は不快な熱射が居室に入って来る事を防いでくれる。屋根や屋根裏然り、長い庇然り。また、低温を蓄熱してくれる土と石、熱伝導が悪い木もそう、そして通風も。

 理論値としての快適性は、湿度だけでなく温度とのバランスによる。居室内が高温になる事を防いでくれる建材や造り方の前では、湿度なんて些細な事と身をもって感じている。まぁ、夏場に快適であっても敢えて密閉にすると、湿度が下がってさらに快適かもしれないな。だが、今度は温度が上がって不快になるかもしれない。それは未だ実験出来ないが、既に快適なんだからする予定は無い。

 

 湿度が問題になるのは基本的に現代建築であり、前提が間違っていないのかな。寧ろ、湿度等の一要素に目を捉われる視点自体が、現代建築的思考じゃないのかな。屋根等の前では些細だとしてもやはり重要だ、ともしするならば、新建材壁に塗られた漆喰だって重要となるのでは。

 各人の各論等の正誤云々の話では無い。お父さん如きに判定等出来んし。う~ん、共感出来ず懐疑的になるのはその姿勢からかな。自分の取り組んでいる事や持っている物を一番としたいという、己の立場有りき論に感じて、そこから単なるエゴイズム主張に感じちゃうんだな。

 

 そんなお父さんだけども、シーラーの土壁吸放湿力への影響を気にしたわけだ。正義感ぶって実の所はエゴイズムな論は気に食わず、結果は似ていても見方や過程は同じでは無い。長々と書いたのは、それを二人や子孫に言いたかっただけ。

 エゴではない、他人に強い主張せずに自分の中で悦に入る人。自分の嗜好や信念等で決定しそれで満足なりをしている人とかだな。若年時と比べ、そういう姿勢に憧れを抱き始めたオッサンとしては、快適性維持貢献度が些細かもしれないがシーラー不使用で挑戦してみておこうと考えた次第。労多くして益少なしそうだが、もし上手い事いけば一人で悦に入ろうと思っている。