家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

泥濘(ぬかるみ)

 再度練習と実験施工。

 二ヶ所目。一ヶ所目に施した寒冷紗を残した状態で再度塗るが不調。

 三ヶ所目。泥砂藁水だけで挑むが、水を少な目にして実施。水を少なく、とは何と表現すれば良いだろうか。左官工の持つ鏝板の上のネタの映像を見た事があるだろうか。容易に見る事が出来るのは恐らくモルタルだと思う。ドロっとしていて泥団子を作るには柔らかすぎそうな具合。それより遥かに水が少ない状態。泥団子も容易。その分、非常に塗り難い。力任せにすると安物鏝だと板が反る。

 さぁ、どうだ、と数日後。二ヶ所目は良しとしても、三ヶ所目は粗い事は目を瞑ってもヒビがある。水少な目なのに何でやねん。

 

 ここで立ち止まってみる。

 練り直した土は既存壁から削り取った物。床に落ちたそれを、一定以上になれば都度集めて土嚢袋に入れていた物。土壁をガリガリ削ると、泥粒子と砂と藁が重力降下にて分別気味になる。それを無造作に回収。結果、土嚢袋によって配合差がありそうな。

 配合差の何が問題と思ったかと言うと、泥粒子が多過ぎるとヒビ割れ易くなると思っているからだ。非常に面倒だけども、全て土嚢袋から出してざっくり混ぜてみた上で再び練り直し。

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 そしての四か所目。だけどの不調。

 もう疲弊気味で混乱気味に至るお父さんは、却って水が少ない事が問題じゃないかと疑い始める。水が少ない事で各種材の混和や馴染み具合が不足、よってヒビが起こっているんじゃないかと。水を少し多めにして塗ると、それまでと違ってそれはそれは塗り易く、仕上がり具合の粗さは当然低減。ヒビも当然発生。

 

 想像出来るかなぁ、この間のお父さんの悲壮感を。

 今更本職に頼む選択肢があるとは思えず、これを自力で越えないと本施主施工自体が終えられない。不調具合に目を瞑る事で、如何にも素人施工な改修工事をした事を階段を通ったりリビングでくつろぐ度に耐えないといけない。あぁ、ゾッとする。先が見えない。

 そもそも、泥なんてヒビが入るもんだ。藁スサをつなぎとしてそれを抑える、という事は学術的に論じられている。左官職はヒビ無しを実現している。しかし、素人が一次的素材だけでどうにかするなんて無理なんだよ。そう、泥にヒビが入る事は自然の摂理なんだよ。

 

 と自暴自棄気味になっていた最中に改めて見た、保管用塊とした荒土。これ、二人はどう見るか。お父さんはハッとした。自分なりにそこそこ上手く書けた「荒」という字も、乾燥したらヒビ割れまくって読めなくなるな、と少し残念に思っていた。

 しかし、思いの外そうではない事に疑問を抱いた事で気が付いた。中塗土塊と同様、ヒビが全く入っていないのだ、粘土分が多い荒土なのに。泥と言えばヒビが入っているもんだ。水たまり跡もそうだし、田圃もそうだし、荒壁や大斑直し壁や下地中塗壁も。今までの人生経験では、左官職の手が入ったもの以外の泥土には全てヒビが入っていた。しかし、目の前のお父さんによる分厚い荒土塊にはヒビが無い。

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 ヒビは何故起こるのか。以前にも書いたが、材同士自体や下地との動きの差異による。逆に言うと、動きに差異が無ければヒビ割れない。石板上の厚さが10cm程はある荒土塊は、表面の乾燥硬化中に特段の阻害をされずに収縮したのだろう。

 

 知識としても経験としても知っているはずの事ながら改めて知らしめられる、泥は絶対ヒビ割れるわけではないという事を。物事が思い通りに進まない事で、冷静さが無くなり、視野狭窄になり、思考力が低下し、絶望する。世間でそんな人生の泥濘(ぬかるみ)に嵌まってしまう人は結構おられるようだ。

 流石にそこまででは無いものの、まさに文字通り泥によって泥濘に嵌まった。しかし、泥は必ずしもヒビらない。固まってカチカチになった荒土の泥塊により足元しっかり、再び立ち上がる事になった。