家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

ゾッとする話

 さて、話を戻そうか。竿縁天井解体後の小壁施工についてだな。想定よりも長い工期になっている事にも絡むので、寒さや加齢以外の本筋の話をしておこう。

 

 まずは当初計画。当該箇所の施工について、設計段階から繊維面を撤去した後にそのまま中塗土仕上としていた。

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 一方でこの間ずっと、そしてちょっと気にしていたのはその他の居室の同壁の意匠との兼ね合い。

 小壁は一大面ではなく、縦材と横材により区切られて小面となりそれが複数枚となっている。正式名は知らないので、縦材を仮に「梁束」、横材を同じく「梁貫」と称しよう。手による打音から、梁束は束としての角材ではなさそうで、梁貫は間違いなく板。よって、同材全てでは無いかもしれないが、意匠要素が強い材と思われる。

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 そして、この意匠はこの家でだけでなく近隣の他の伝統構法家屋でも漆喰仕上で複数見た事がある。同じ伝統構法でも元豪農庄屋で茅葺家屋の古民先輩邸は、小壁を敢えて区切った意匠でなかったような気がする。茅葺だからかと思いきや、同条件で大阪府内のそれは区切られていたような気がする。しかも、畿内だからかやはりお馴染みの漆喰仕上。これだけで考えると地域性のものかと思うが、記憶力にも自信が無い上に不勉強なので推理はここで終了。

 いずれにしても、日本建築様式の破壊を厭わずとした奥の間。床の間も書院も竿縁天井も撤去。この際、伝統的意匠の兼ね合いを気にする事に今更感がある。そもそも、同じような意匠にする為の施工負担が追加されるのが嫌だ。

 

 そんなわけで、気にはなりつつも兼ね合いは無視をする前提でお母さんに中塗土の撤去工程へ入ってもらっていた。その間、出るわ出るわ、寒冷紗と思しき15cm程度四方の黒布。以前、元母屋階段廻りの垂れ壁撤去の際にも何枚か出てきた。購入した寒冷紗とは見た目からしてガーゼ。これまで全く馴染みが無い、ガーゼと違って。何故、寒くて冷たいとかの名前になったのか全く分からない。

f:id:kaokudensyou:20170223172022j:plain←新品寒冷紗

 

 物心ついてから寒冷紗という名称をハッキリ意識したのは、漆喰下地用としてが初めてだと思う。漆喰購入先にて、石膏ボード等の引っ掛かりが無い壁下地材に対して貼り付ける事で、漆喰が剥離しないと謳われていた事による。孵ったばかりの雛が初めて見たものを親と思うが如く、お父さんにとって寒冷紗とは左官副材であり下地材である。よって、中塗土から出てくる寒冷紗っぽい黒布は、最高位の居室である奥の間の繊維壁の下地土を何としても剥落させない材、と見ていた。

 しかし、さらに土を削り進めると、並び貼り付けられている藁が見えてきた。その奥は明らかに土の種類が変わっている。大班直し土、もしかして中塗下付土だ。

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 ここで一気に寒冷紗の謎化勃発。

 荒土と中塗土の剥離云々を言うならば、この藁の位置に寒冷紗を貼り付けるべきではないか。実際は、中塗土の中に入っていた。そもそも、荒土と中塗土の剥離って何だ。お父さん施工のそういう土壁は何年か経ったが剥離しそうに無い。剥離が出る所は乾燥過程である初期にとうに出た。十年、百年後の為なのか。理屈から言ってそれは考えにくい。一度一体化した荒土と中塗土を剥離させる事がどれ程面倒かは経験済だ。

 で、出た結論。剥離では無くヒビ防止だ。これなら合点が行く。そもそも漆喰下地材としての寒冷紗も同様の目的ででも入れられる。しかし、お父さんは左官材が乗りにくい箇所に使う目的の方ばかりを着目し、用途の認識が固定されていた。第一印象と固定観念。お父さんとした事が。

 

 謎は解消されたが今度は不安が増大。作業員レベルや土間コン屋さんと卑下する人がいなかったであろう、数十年前の本職施工であってもこれほどに寒冷紗を入れないと、それほどにヒビの発生確率があるものなのかと。

 確かに、素人左官による漆喰下地としての中塗土でヒビが出ている所がある。出ていない所もある。水の加減か材厚の違いか。いずれにしても、漆喰で隠れるだろうからとさほど気にせず見逃していた。しかし、此度の中塗施工は違う。それが仕上げだ。ヒビが出た頃には床材を貼っている可能性が高い。そのような完成状態にて、いくら養生したとしても中塗土をまた削って砂埃が舞ってやり直すなんてゾッとする。