家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

苦手な塗装、不信な教師

 これまた時が遡り、古民家先輩邸での床摺漆施工時の事であり、今以上に漆について不見識の頃。

 彼により指示された同施工方法で使用された摺漆道具は、漆防護具以外だと二つあった。一つは漆拭き取り材であるケーク紙という物。その名の通り、紙。綿布よりも埃が付着しにくく、拭き取り量も少ない為厚塗りに向いた物だと。これは別にどうこう無い。お父さんが引っ掛かったのはもう一つの道具、漆塗り具としてのプラスチック製のヘラ。

 

 その前に、お父さんはそもそも塗りという行為の経験値は高くなく苦手意識がある。色選びや塗り方のセンスが無いのではなかろうか。しかし、お父さんは自分で言うのも何だが、絵自体はどちらかと言うと得意な方だ。でも、好きではない。

 小学生の時、図工の授業で絵を描く事があっても鉛筆で描き上げるまでは良い。自分なりに楽しみ、満足感や達成感もあったように記憶する。しかし、着色段階になった途端にテンションはガタ落ち。クレヨン、色鉛筆、絵具に関わらず。出来上がりは、下書き段階の鉛筆画の満足感を失わせた。それだけではない。そのように悪戦苦闘しているだけに、授業時間内に完成させられなかった。小学生のお父さんは放課後も居残って書かされる事が多かった。

 

 そんなお父さんにとって不幸な事に公募で表彰されたりした。と言っても全く大した物ではないが、学校内で受賞者は唯一とかだったのかもしれない、担任の中年女教師は欲気を出してしまう。市の教科書副読本製作を担っていたその担任は、お父さんにそのイラストを描くように頼んできた。

 頼んできたとは良い言い方で、当時のお父さんは昭和の小学生、断る事なんて出来ず半ば強制。やはり放課後に居残ったり、時には校区外の市立図書館にまで行って資料から下調べをし、時には家に持ち帰ってやる破目になる。まだ幼かったのに。

 担任からは何のフォローも無くただただ独りだけで、嫌々やらされた感しかないイラストはとても満足出来る物ではなかった。それでも掲載された副読本は全市に配布され、お父さんも同級生達もそれを使って授業を受ける。担任はそのイラストがお父さんによる物だと説明したが、同級生からは何も言われなかった。その程度の出来であり、報われた感は微塵も無かった。

 

 小学生のお父さんは、そういう事もあって絵を描く事が好きになる事はなかった。寧ろ好きじゃなくなった。着色は特に。もしその時の担任が自分の仕事の事だけを見るのではなく硬筆画は好きだった児童の事を見抜けて導いていたら、その後の人生は変わっていたかもしれないなぁ。まぁ、難しいだろうけども。

 

 ついでに書くと、そのイラストの説明文にはいかにもヤル気がある小学生が描いたような内容が担任により付されていた。捏造だ。その後、教室内で事件が起こりお父さんがその担任から犯人に断定される。冤罪だ。学年が上がって担任が変わったが、その担任と歴史観の相違から一転して態度が変わられた。冷遇だ。

 そんな幼きお父さんは、以来、教師全般への見方が変わっていく。教師とは聖職でもなければ絶対的な存在でもなく、タダの一職種でありサラリーマン。女教師は、感情的で利己的な人間が混じっている可能性が比較的高く、安易に信頼してはいけない。日教組は危険な亡国団体。

 

 これらの見方を修正してくれる教職者にはその後も会えなかったが、小学生の親となった今のお父さんはさすがにそれが偏見の危険性がある事は承知。ただ、教師や学校に不信感を抱く今時の保護者の感情は分からなくはない。また、きょうこやりょうすけの先生方には、あくまで一社会人として是々非々で接するように努めている。