家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

不埒な助っ人

 古民家先輩からの漆教入信勧誘から数日、漆の事が頭から離れない。仕事をしていようが、施工をしていようが、食事をしていようが。よく分からない物を頭の中だけで考えても、大した答えなど出ない。だけど夢にまで出来きた。

 この時点でこりゃ駄目だと彼に連絡、見に行かせてくれと。これで約二人工と数万円が消える。それであっても決着付けないと色々支障が出て困るのだ。そんなお父さんに対して彼は、塗らせてやろうと言う。施主施工での漆塗り床を見られるだけで良しだが、塗らせてもらえるなら尚良し。

 

 お父さんならば仕上施工や作業はやらせたくないし、やりたくない。しかし、難題を突き付けてきた彼にも責任を取ってもらおうじゃないの。と本件は例外として彼の提案に飛びつく。漆の事で睡眠不足になった上に、それが原因なのか体調不良となるも信州に強行。 

 そうは言っても信州行きを決めた時点で、お父さんの中では漆に即決するかもしれないと考えていた。優美で艶やかな漆塗りの床を見ればそれに惚れて、迷いは払拭、腹が決って邁進するのだろう。「見た目」がお父さんのヤル気スイッチをオンにするだろうと。床板漆施工はとんでもなく大変だと想像は出来ていたので、それを乗り越える為のスイッチは必須なのだ。

 

 が、予想外。拝見すると第一印象は、まぁ、普通。これだったら顔料で色調合した亜麻仁油でも良いんじゃね、ってな感じ。お父さんの中で漆のイメージは、エナメルのようなグランドピアノのような艶々な表情。その上で、木目が見える透き通るような床を想像していた。

 彼自身も思っていたよりは艶感が薄いとの事。しかし、それでも漆塗り床はすこぶる良いのだと、すっかり惚れ込んで恍惚な表情を浮かべる。漆教信者なら当然か。しかし、現場におられた大工さん等も漆は良いねぇとおっしゃっていたそうだ。それ本心なのか。漆だと事前に知っているからそう言うだけじゃないの。施主というお代官様に踏み絵を踏ませられているだけじゃないの、と例えは逆だけど。

 無宗教のお父さんは、自分が違いの分からない男だとは認めない方針。信州行きまでの間で、お父さんの漆へのハードルは尋常じゃないぐらい高くなってしまっていたのだろう。そこからのガッカリ感から卑屈思考に発展。

 

 う~ん、残念。写真では分からなかっただろうし、塗らせてもらえたのも良かった。だが、見た目や感性で決められると思っていただけに、の残念。

 艶感含めた仕上がり具合、これは人それぞれだと思う。彼は艶々し過ぎないぐらいが良いのだろう。艶々し過ぎない方が使用摩耗によるその他との差が出にくいかもしれないので、実用面でもその方が良いかもしれない。分かる、分かるのだが、この数日間の想いをどこにぶつければいいのだ。

 

 という事で、仕上げ塗りを任された脱衣洗面所床にぶつけておいた。

 施主である彼からは、塗った漆は「しっかり」拭きとるように指示された。なのにオリジナル性を如何なく発揮して、脱衣洗面所なので耐水性を高める為に、同室は南向きで反射光が入り易いので耐候性を高める為に、そしてお父さんの好みの艶感に近づける為に、と気持ち薄残りするぐらいにしちゃう。後に知ったが、別にこれはオリジナルな方法ではなくそういうやり方もあるそうだけども。

 何にせよ、これだから仕上施工での助っ人は嫌なのだ、頼む方が。お父さんの塗布施工後に彼は笑っていたのか、苦笑いしていたのか。敢えてそれは確認しないようにして帰路に就く。

 

 さぁ、ここからは古民家先輩頼りには出来ない検討作業の開始だ。