家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

「漆教」勧誘

 キッチン天板の漆施工について話を進める前に、床板仕上げ材についても触れておかないといけないなぁ。文量が多くなるわ。大人のたしなみ、そして親として書きにくいわ。そんな迷いがあるものの、この手記の性格上から、そして今までの内容からしてもこの件だけ触れずに行くのはおかしい。そういう事で、長い前置き話をする次第。

 

 平成28年初春頃、古民家先輩から度々電話を受ける。内容は、大体が彼の施工の話。着色した漆喰を塗ってみたとか、天井と梁の隙間埋めに和紙を使ったとか。この頃の彼は現場にて泊まり込み施工。施工の休憩中か就寝前かの一人の時間を過ごす退屈しのぎ相手として、お父さんに電話をしてきているのだろう。お父さんも施主施工者、しかも伝統構法家屋の施工者として話せられるのは彼しかいないので、気を良くしてお相手していた。が、どうも何か雲行きが違うと言うのか、ただの退屈しのぎの電話ではなさそうに思えてきた。

 

 彼は頻繁に会話の中で漆の話を出していたのだ。彼が泊まり込み施工している一つの理由は、床板への漆塗りを行っている為。

 お父さんは漆施工を行うものの、発端者の彼は断念。その当時の彼は、荒壁左官施工真っ最中で思考がそれどころではなかった、というのもあるかもしれない。しかしそれ以上に工期の問題があったかららしい。仔細は後述するが、漆の硬化には温度と湿度、それに塗布作業場所が必要。それら条件が揃わないとして断念されていた。ただ、その後に硬化条件が緩和な漆がある事を発見され、それにより施工を実施する事になったようだ。

 

 彼は喜々として漆の話をお父さんにする。塗った漆が非常に良い感じだ、等々。最初は、色々あっての漆だから嬉しいんだろうな、すっかり「漆教」の信者だなぁ、ハハハ、とお父さんは呑気に他人事として年長者風に聞いていた。しかし、どうも意図を感じる言動に徐々に聞こえ始める。あぁ、そうか、これは矢場い。勧誘の布石か何かだ。漆教の信者が入信せよ、とお父さんを勧誘しようとしているんだ。

 そう気付いてからは彼からの電話がある度に、また漆話になる度に、「どうか勧誘されませんように」と心で願ってみる。しかし、そんなのは無駄の極致。ある日、「やりましょうよ」と。あああぁ、来た、やっぱり。

 

 「難しそう」→「摺漆は難しくない」。まぁ、ねぇ。

 「塗った化粧板状態の物を、移動させて現場合わせしながら加工しての床施工をするのは非常に大変で難しい」→「出来るでしょ」。答えになっていない。

 「4m×200㎜×30㎜材が100枚以上。これを塗ったり置く場所の確保が困難」→「うちは2m材で桟積みをした」。条件が違い過ぎるし、やはり答えになっていない。

 「時間が掛かる」→「計算上、10人工ちょいとぐらい。鉋再生に多人工かけたのだからイケるでしょ」。それは別の話であり、鉋は時間を要する事が分からなかっただけ。分かっていれば、中古を大量に買わずに新品数台にしていた。

 「お金が掛かる」→「販売店の言い分だと50年は保つらしい。オイル仕上で塗り直しを2年毎とかやるなら元が十分に取れる」。50年は条件次第じゃないかな。動線になる箇所はそこまで保たないように思うのだけども。

 「左官で頭が一杯」→「まぁ、検討してみてちょ」。諦めないのね。

 

 空気を読んで引いてくれるような生易しい方ではない。結論ありき、漆ありき姿勢の相手が、こちらの状況等を鑑みてくれるわけもない。ま、そもそも施主施工をする人間は多少の差はあれど、全員頑固者要素はあるんじゃなかろうかね。でないと、始めるのも続けるのも出来ないと思うのだ。何にせよ、簡単に言ってくれるがそういうもんじゃないんだなぁ。

 彼の誘いを避けたかった最大の理由は、まさに「頭が一杯」なのだ。この時、お父さんは大斑直し施工が始まったばかり。キッチン天板の漆施工の事でさえほぼ白紙。床板の塗料も亜麻仁油塗布にてほぼ決定しており、それを踏まえた施工方法で全て想定済。その施工も一年後かの先の話。それが急遽の検討課題化。電話を切った後の疲労感はなかなかのものだった。