家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

施主施工者の資質

 お茶目とはとても思う事が出来ない、このおばあちゃんの理不尽な施主施工の非主体性によってとうとう実害が出てきた。キッチンの設計と施工の停止だ。

 

 キッチンはどんなものが良いか、これはおばあちゃんが考えて欲しいとおじいちゃんは伝えていた。おばあちゃんに施主としてこの家づくりに参加して欲しいからだ。

 結婚してキッチンに立つようになり10年以上。身近な住宅設備だからこれなら取っつきやすいだろう。職種としてあるキッチン設計を本格的にするなんて事はおばあちゃんには無理難題。キッチン全体から水栓やコンロや収納やと部分的な事まで、希望や想い等を持って考えられる世の奥様方は多い。そういう奥様程度で十分。

 そして、これを手始めにどんな家にしたいのかを考えてみるようになるかもしれない。思い描いた何かが形になれば、その他の事もおばあちゃんの頭は回転するだろう。どうせ数少ない希望点の玄関は元々広いのだ、それ以外に何か産んで欲しいな、と。

 

 そしてもう一つ目的がある。おばあちゃんは整理整頓が異様に出来ない事。

 こういう思考停止のおばあちゃんなのでとても待ってはいられない。と、以前の施主施工では結局おじいちゃんが設計した仕様で、おばあちゃんに確認を取りながらキッチンや収納を造った。おばあちゃんの要望が産まれ無い事から、最初から造り込まないで使いながら創っていく仕様だ。

 

 するとおばあちゃんは、とにかく並べたり、重ねたり、押し込むだけに終始する。話が違う。一見、片付いているように見える。目隠しや扉を開けると、調理器具も食器も折り畳んだ衣服も何だか乱雑。使っていくうちにすぐにもっと乱雑に。よって、物が見つからず探索時間が徐々に伸びていく。工夫も知恵も無く、兎にも角にも使いづらいまま。見るに見かねたおじいちゃんが、収納具を整えて整理整頓してみるがそれも維持出来ない。

 そう、文句があるならおじいちゃんがすれば良い、という弁は受け付けられないのだ。ただ、おじいちゃんの生半可な工夫や知恵では太刀打ちできない程の強者なのだ、おばあちゃんは。

 

 この家に越してから一年間。以前にも書いたが、この期間はこの家をどう改修するのか時間を掛けて考える猶予期間。経験豊富な本職ならまだしも、場当たり的な施主施工をしても良い物など絶対に出来ない。慌ててやると手を抜き始めるのは必至。度々書いているが、設計や施工に余裕を持つ事、これが本職は持っていない数少ない素人の拙い武器。

 おばあちゃんにもその意図を伝え、キッチンについての考えておいて欲しいと言っていた。時間は十分ある。今度こそ、自分でこれなら使い易いのではと思えるキッチン造りをしてはどうか。ならば、もし完成後にイマイチだったとなっても、それを改善工夫する思考は芽生えているはずだ。

 

 しかし、案を出してこない。よって、揉める。段取りがあるので、せめて取り合えずキッチン天板材種は何にしたいか考えて欲しい。おじいちゃんが案を出してしまうと、おばあちゃんはすぐにそれに乗っかてしまう。以前の施主施工の二の舞にはしたくないのでおばあちゃん案を待つ。

 しかし、まだ案を出してこない。よって、また揉める。おじいちゃんが選択肢を出して、その中からおじいちゃん本命案の木に案の定決まる。では、メンテナンスや価格の事も踏まえて木の材種を考えてみてくれないか。

 しかし、まだまだ案を出してこない。よって、またまた揉める。揉めながらもタモに決定。では、いよいよキッチン全体の使い勝手を考えていこう。イメージだけでも良いから考えてみて欲しい。

しかし、まだまだまだ案を出してこない。よって、またまたまた揉める。

 

 この間、二年近い。二年を掛けて決まったのは、天板をタモにするという事だけ。おばあちゃんは各事柄に「それぐらい出来る」と全て快諾して約束してきた。だけど、しない。

 以前の家探しから数えると10余年。この間、家は勿論、キッチンに対して願望もなければ不平不満もない。他者の欠点等はすぐに見つけるのに、自分の動線や手元にある物体の問題点や改善点等には気が付かない。

 これは長所なのか短所なのか。おじいちゃんには分からない。しかし、少なくとも施主施工を行う人間は、自分で色々起こして行かないといけない。施主施工をしようと言って実際に主体者の一人となったおばあちゃんには、その事はイマイチ通じない。