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家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

自分は良いけど他者は駄目

別記・補足・おまけ 設計・施工・伝統構法

 しかし、しかしだ。おじいちゃんは許容できない事がある。それは理不尽さだ。

 他者の行いや言動等にはおじいちゃん以上の厳しい物差しを持っている。これ自体をおじいちゃんは悪い事だと思っていない。でも、おばあちゃんは自身には甘いとなると話が違ってくるから困りもの。

 おじいちゃんの父もまさにこれ。子や嫁に向けるだけなら我慢する。しかし、孫である幼ききょうこにも理不尽に及んだ事からおじいちゃんは堪忍袋の緒が切れて激怒。それまでの30年以上の鬱積もありこっちから絶縁した程。なので、理不尽さを看過する事は不可能。

 

 家探しからおばあちゃんはこの病状が出ていた。

 

 新興住宅街も建売住宅も嫌、分譲マンションも賃貸も嫌。では、どういう家が良いのかと問うと、「玄関が広くて、台所とトイレに窓がある家」と。これは自体は別に良い。しかし、何年経ってもそこから発展も展開もしない。写真を見ても、現物を見ても同じことしか言わない。家造りが始まってどういう風にするのかと問うても意見や願望を言わない。というか言えない。自分の中でどんな家が良いのか等の掘り下げを全くしないからだ。思考が完全停止中なのだ。

 以前の住居探しと施主施工、終の棲家探しと銘打ってこの土地家屋に至る迄、そして本施主設計と施主施工。結局、おじいちゃんが全てお膳立てして実行、おばあちゃんは反対するか、用意された選択肢を選ぶだけか、沈黙するかだけ。家なんて住めたら良い、団地でも十分という考えなら筋が通っていると思う事が出来る。しかし、そうではない。巷に多くあるような家や団地は嫌、だけどそれに対応する考えも行動もしないで否定と文句だけ。

 

 これの何が理不尽かと言うと、もしこのような人間がおばあちゃんの同僚や上司、顧客に居ようものなら帰宅後におじいちゃんの前で酷評を論じるからだ。自分が頑張っている事柄に対して周囲がそうでなければ、ましてや足を引っ張るのならば許せない。

 ならば、家探しや家づくりと言う家族だけでなく自分の為の事にも関わらず、それを頑張るおじいちゃんに足並みを揃えようと努めない事はどうなのか。過去に酷評してきた人と同じじゃないのか。そう問うと沈黙のままで改善無し。

 

 この繰り返し。この事例はほんの一例で、その他色々あり過ぎる。さらっと書いたがこの間実に10余年。おじいちゃんにとっても、おばあちゃんにとっても苦節の時間。