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家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

施主の心得:施主になれないのなら出ていきなさい

別記・補足・おまけ 建築士・施工者

 三つ目、これは残念なお知らせ。「それでも良い出会いはなかなか無い」だ。


 どこかに分かりやすい例え話の記述があった。
 見合った額を支払うので良い工事をして欲しい、と考えている施主がいる。安かろう悪かろうではない工事。とにかく値切ろうだなんて思っていない。その工事内容では100万円が適正額。これで、工務店も施工業者も適正な取り分が得られ、材料も良いものを揃えられるはず。施主は100万円を工務店に支払う。

しかし、不誠実工務店は「これで取りあえず納まるわ」と、施工業者に40万円しか渡さない。施工業者は赤字にならないよう、材料のグレードや工期を抑えて「取りあえず納まった」程度の工事にしてしまう。
 又は、良心的工務店は適正取り分として30万円を自己利益とし、施工業者に70万円を渡す。しかしその業者は、同業者に40万円だけ渡して丸投げする。そして自分は、差し引き30万円を得ながら他現場で仕事をする。

 お父さんの知る限り、この例え話は現実でありこんな事は日常茶飯事。良い家づくりを実現する為には施主だけでもダメ、工務店等だけでもダメ、施工業者だけでもダメ。三者全員が揃う必要がある。だから難しい。

 問題はこの工務店もこの施工業者も、ちゃんと納めたのだから何も悪い事をしていない、と思っている事。皆がやっている、仕事を回わしてあげている、やらないと損だ、アホだ、などのような認識かな。そこに施主の熱い想いは存在しない、と言っても過言ではないと思う。こういう施工業者だったのだろう、それが親類縁者であっても同じ事をされた話を聞いた事がある。
 だけど、施工業者等の平均収入は少ない方だ。発注者に叩かれているだけではないように思う。工務店等や施工業者が足の引っ張り合いや自己利益に走ったりなどして、施主の期待を裏切っている間に、大手等のハウスメーカーや建材メーカーにしてやられている面があるんじゃないか、という見方は的外れだろうか。

 建築業界はドンブリ勘定のくせして、あるいはそれが故か、カネに結構シビアな人が多い。さらには、プライドだけが高い人も結構いるように思う。

 その一方で、あまりカネ勘定しないで自分の仕事に良い意味の誇りを持っていたり、好きだと思っている人も結構いるように感じる。そんな人に出会える事を夢見ていたお父さんである。施工者ではないものの、おじいちゃん建築士は後者の方に思っている。


 さて、「『プロ』を侮れ」「自分で勉強したり調べなさい」「それでも良い出会いはなかなか無い」というお父さんの主張は、元建築業界の片隅にいた経歴や施主施工を通して、というだけの根拠ではない。表現や言い回しは違うものの、業界のベテランや中堅の当事者方のお話も元にしている。少なくとも、「施主が賢くなって家づくりに参加した方が良い家になる」とは異口同音に言われる話だ。


 「ここまでして『家』というものに労力を費やしたくない」「人生は『家』だけじゃない」と思うだろうか。お父さんは一定以上思っている。お父さんは、「家」の為に不便な事や苦労を敢えてしたいとはさらさら思っていない。

 ただ、「家」という器が文化的で豊かな生活の為には必要であり、高額なものだからコントロールする必要があるのだ。営みの一環なのだ。これら良く分からないまま歳を取り、ある日訪れた営業マンの「屋根が危ないですよ」「白蟻点検しないとマズイですよ」等の言葉に脅されて、よく分からないままに高額な金銭をだまし取られるなんてのは言語道断。被害に会った方には悪いが、一体それまで何をやっていたのかと思わざるを得ない。敬老精神が失せてしまう。

 「家」という不動産をコントロールできないなら所有すべきじゃない。この家に限らず、注文住宅だろうが建売だろうが、マンションでもだ。自分の代の使い切りでも同じだ。「家」ごときに労力を一切かけたくないのなら、一生賃貸に住まう方が精神的に健康だと思う。お父さんの計算上では、自世代使い切りであるならば生涯住居費用は所有も賃貸も大きく変わらない。

 しかし、この家を取り壊わす事は許さない。大事に使ってくれそうな人に売却して引き継ぎなさい。それが二人の、そして日本の社会の為に良い。これが言いたい事の最後の四つ目だ。