家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

お父さん、若かりし時の想いが呼び起される

 本拠地である母屋内の改修プランはもとより、母屋以外の上物をどう活かすか、残すか。これを1年かけて考える事にする話を、この家を取得して初めての打合せ時におじいちゃん建築士と確認しあった時のこと。おじいちゃん建築士は「薪ストーブをしませんか?」と笑顔で提案してきた。

 「人間は自然を壊している」と声高に主張する方がおられたりするのだが、これは問題を正しく捉えきれていない主張だと思っている。
 お父さんの持論を述べさせてもらおう。

人間以外の他の動物も、それに植物だって自然界の「当時の既存の」バランスを崩す行為をする。極端な話をするが、地球が出来てから大量にあった二酸化炭素を糧にして植物が大量消費して大繁殖した、らしい。結果、既存の大気成分構成は大きく変化し酸素が増えた、らしい。その増えた酸素のおかげで、酸素利用できる動物が今度は大繁栄した、らしい。二酸化炭素を大活用する動植物からすると環境破壊行為かもしれないが、酸素利用するお父さんからすると有難い。地球そのものの活動などの内的要因、太陽や惑星、隕石などの外的要因、これらに対応できて生存する動植物の営みもまた内的要因となり、地球環境を形成する。

 人間も環境形成の一員だ。里山というものは、それまでの既存の環境を改変してしまった産物だ。しかし、そのおかげで繁栄するのは人間だけでない。現代においては、里山が廃れて来た事でそこに棲む動植物保護の為、維持活動をする団体がいくつもあり、お父さんも所属している。しかし、里山を造る行為自体を他のある動植物から見ると環境破壊だと思う。それを維持しようという活動もまたしかりだ。

 「里山保全は悪だ」と主張をする環境保護論者はいるのだろうか。もしいるとすれば、一体どういう立ち位置で地球環境を見ているのか。そして自分の先祖の営みと、自宅の土地はどういう経緯で宅地になったかを聞いてみたいものだ。

 人間が既存環境を利用する行為はそれ自体が自然の営みであり他の動植物と同じであり、それを止める事は出来ないし、してはならない。それよりも問題は、産業革命以後、人間一人の影響作用力が大きくなった事だ。

クワやオノで環境改変してきた緩やかさが、重機を使う事で急激に改変出来るようになった為、本来、動植物が生存環境をバランスよく形成していく力があってもそれが追いつかない。改変速度と相まって、森林を分断するような交通インフラなど改変規模も影響が大きいだろう。

なので、「人類の為に保全をしましょう。急激に変えざるを得ない場合は影響を熟慮しましょう。人類の叡知によって、他の動植物の生存の手助けをしましょう。」ぐらいの、ただただ人間を悪者にせずにこんな感じで主張してもらえると、お父さんの場合はすんなり聞ける。理性ばかり要求するのではなく、人間という動物の営みについて自然環境を考える際は必須と思っている。

 と、二十代前半の時に触れたその報道により漠然と、「宝くじでも当たったら放置山を一つ買ってみるか」ぐらいのホントに漠然とながら、こんな考えを抱いた事を薪ストーブで思い出すはめになった。