振り返り近代日本住宅史(超簡略版)
近代日本は都市化が進む事で、都市部の住宅不足は深刻的だったそうで。
都市に流入する人は、基本的には地方の次男坊や三男坊などで、なおかつ裕福な人達ではなかったと思われるので、頑丈で立派な家には住めなかっただろう。そもそも、大きな柱や梁の立派な家を建てられる人は都市にも地方にも多くはなかったかもしれないが。
取りあえず住めたら良し、の細い木材で密集して建てられた家屋群はいざ地震が来たら倒壊。火事に見舞われても当然倒壊。(太い材の家屋は倒壊しにくい)
倒壊を逃れても、傾いた家を直すには密集地では難しいかったらしい。
そんな事等関係無いという程に日米戦で都市部は焼き払われ、住宅供給は喫緊の重要課題。
資金以前に木材自体が不足した中、細い柱と梁で建てざるを得ない。戦後復興の中でとにかく家を建て、寿命がどうとか構っていられない。需要が高い中、住宅建設業が産業化し供給力を高めて行き、ようやく住宅が行き渡る。
短寿命、狭小等、質が高くない家屋が普及していた事、安価な建材の輸入解禁、経済の成長による中流所得層の拡大。今度は建替え需要が堅調。
さて、需要が落ち着き、マンションとの競争があり、経済は停滞気味の中、産業化してしまった戸建住宅業界は引き続き産業として維持しないといけないし…
で今に至る、とざっくりこのような感じで捉えている。
昔の「在来工法」に比べれば、細い材や合板の駆使を前提とした堅固さを得て、意匠等の自由度なども上がった。そして昨今は寿命も延ばそうという動きがある。
そういう考えは、引き継げる家を良しと考えるお父さんにとっては大変素晴らしい事だと思う。が、実際にはそれが実現するのはなかなか困難では、とも考えている。
産業化した住宅業界の企業は、職人を排除し、金物や集成材、工業・石油製品を多用する流れを作り出した。寿命を延ばそうと言うのは、この自分たちで作って来た事を自己否定する事になって実現出来ないのじゃないか、と疑問視するからだ。比較的には寿命を延ばしました、とか謳う工業製品にどうせ頼るのではないか、と。
簡単ながら、こういう見方を明確にするようになったのには二つの事がきっかけ。