家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

中塗仕上塗り本格デビュー

 さて、出来た練り直し漉し中塗土は如何なものか。それはもう劇的に塗り易くなった。こう言ったお父さんに対しきょうこは「私のおかげ」と言う。確かにそう、きょうこや皆の成果。

 

 この漉し土を使う事で施工に諸々変化する。

 

 漉し以前の土で塗る場合、小石等による塗り難さで時間を要した事もあり、面出しがイマイチだったかと思う。その状態で仕上鏝で濡れている塗り面を押さえると、綺麗に艶が出る凸部とそうでない凹部がハッキリする。却って汚い感じなんだな。

 それで思ったのが、仕上鏝は粒子が細かい漆喰のようなものに使うのであって、それより遥かに大きな砂とかが入っている中塗土の仕上げには使わないんだろうな、と。鏝の柄にも「中塗用」とか書いているし、鏝が厚いから土用っぽいし。で結果、粗い仕上がり。

f:id:kaokudensyou:20170507160336j:plain←中塗用鏝厚

 

 漉し土以後は、小石に邪魔されない事等から面出しが容易になったと思われる。ふと仕上鏝を使ってみると、思い描いていた仕上がりっぽくなる。濡れている状態だと鏡面、乾いたら既存壁と似たような感じになった気がする。少なくとも、漉し土以前とは全く違う仕上げだ。仕上鏝、凄い。

f:id:kaokudensyou:20170507160425j:plain←仕上鏝厚

 

 さらに、塗り方が変わった。

 漉し以前以後も、面全体にネタを綺麗に置きながら全体を仕上げていく、というのがお父さんの想像する本職方式だと思うがこうではない。それでは手が水引きに追いつかないお父さんは、部分部分を仕上げる方法。ネタを置いた所から仕上げながら移動していくんだな。これでも継ぎ目が出来るわけでないので良しとした苦肉の策。下地施工時に生まれた方法。

 

 ただ、明らかに変わったのはネタの動かし方。下地に擦り付けるのは勿論ながら、それよりはネタを上下左右に動かす感じが加わっただろうか。下地に付きにくかったり、薄く塗りながら隅にネタを配らないといけないしで。最後の仕上げは、左端から右端にドン、そこから取って返して左にスッと鏝を動かして離す。

 こうしないと上手く行かないのでやっていたのだけども、ある瞬間、あの方の顔が脳内に現れた。探検さんだ。動画でも撮っておけば分かり易かったが、お父さんの漉し材での遣り方は、お父さんが記憶している探検さんの遣り方に似ている、下地塗りや漉し以前の方法より遥かに。

 

 改めて思った。やはり探検さんの方法はやはり仕上塗り用なんだ。合板なり石膏ボードなりの面が出ている下地に仕上材を塗る方法なんだ。だから、お父さんと相違があったんだ。あ、いや、もっと正確に謙虚に言うならば、下地塗りでも探検さん方式がより正解なんだろう。ただ、下地であるならお父さん方式でも出来ない事は無い、という事だ。

 さらに、探検さんが古民家先輩邸現場での水引き経験により、お父さんに強く忠告してくれた事があった。それに対して、正直言うと拍子抜け感があった。

 しかし、それも漉し以後左官で分かった。水引きが無いか少ない下地で仕上塗りを学んだ探検さんからすると、土下地で仕上塗りをするとそれはそれは違っただろう。下地塗りでの部分部分仕上法以上に部分部分具合が強くなった仕上塗りで体感した。

 

 土下地での仕上げ需要が世間にも探検さんにもないからだろう、本職が通う左官教室でも新建材下地。違いの知らない素人同士であり、探検さんが普通、古民家先輩やお父さんが稀有。そりゃ、疎通が上手く行かんかったりするわけだと再実感。

 

 そう書きながらも、当施工自体は難しいものではないよ。漉し土で狭い面を綺麗に平らに塗る事は出来る。

 お父さんだから、ではない。本手記は書くべきではない事、書かない方が良い事まで臆さず書くようにしている。本来、父親が子供に向けて弱音をたらたら吐くなんて有り得ん。しかし、本音や正直を心掛ける事をルールにした。なので、包み隠さず書くようにしている。だから今更、嘘や誇張等を書かない。本当に「出来る」。

 

 勿論、余程の不器用であったりとかだといきなりは出来ないかもしれない。しかし、ちょいと慣れたら本当に「出来る」。お父さんは全く特別では無い。プロと称する人間だと「出来ない」と言う人もいるだろうが、全てに当てはまる事では無い。この程度は大丈夫。寧ろ、材を作る方が難しいし大変。

 

いつか来た茨の道

 ヒビが出ない、かもしれない方策をお父さんなりに考えてみた。

 

 一つは砂を追加する事。泥の粒子の割合を減らすとも言う。泥を減らせば含水量は減る。そうすれば乾燥収縮が減る。感覚的に分かるかと思う。荒壁から仕上げに近づくにつれこれを実行。実際にヒビは減って行った。

 そう思いついたものの不採用。既存解体材の配合が不明な為、砂を増やす事を不用意に行わない方が良いのでは、と考えた。また、脆くて砂がポロポロ落ちる壁にならないか。それに、他の既存小壁と表情が変わるのじゃないか、とも。

 

 既存解体材の配合をあまり変えない、となると残す案は既存材を漉す事。小石を可能な限り除去する事で、薄塗りを可能にさせる。薄くなれば含水量も必然的に減る。塗った材の乾燥過程での可動域も減る。塗り易くなる事で水引きに追いつけるかもしれない。

 

  ただ、漉す事は最後まで躊躇った。母屋二階中塗用で経験済の大変な作業だからだ。ここで大いなる寄り道。あぁ、ゾッとする。あぁ、面倒臭い。

 しかし、砂追加案を行うとしても小石等入ったまま。5㎜厚以上になる事は変わらずだが、塗り代をそこまで取られていない。実験施工中にも躊躇い迷う事一週間。もうやる事にする。

 

 やった事は母屋二階用と大体同じ。その際は荒土プール内で行ったが、そこまでの量ではない上、まだ寒さを感じる日がある時だったので屋内にてトロ舟内で実施。お父さんは勿論、お母さんもきょうこも総動員。りょうすけはいつも通り「手伝っている」風。

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 当作業にて、砂、泥、藁スサ、そして小石等不要物を全て分離。全部が面倒だがその中で最たるものが、藁スサに絡む小石等の除去。母屋二階用は所詮は下地材、余程の物だけの除去で済ませた。当材は仕上材。ヒビにも過敏状態。よって、兎にも角にも全部除去を目指す。

 これがすこぶるしんどい。乾燥させた藁スサを細かくバラシながら、その中にある異物を取り除いていく。当作業は三回実施で凡そ6人工だが、その中でこの藁スサ内異物除去だけで4人工弱は掛かったかと思う。本当にしんどかった、腰と精神が。

 

 また、過剰な水の除去も要する。こればっかりは時間任せ、天候任せ。水を流せば泥まで流れるので、沈殿具合を見ながら世話をする。一回の材が出来上がるまでに凡そ一週間。一つしかないトロ舟を用いて主にお父さん一人で行っているので、左官作業との並行を完全には出来ずタイムラグが発生、その間は施工ストップ。

 

 疲弊はするわ、工程は大いに狂うわ。そういった事を予感したので避けたかった方策。本職はどうしているのだろう。由良川砂の精度からして、購入材でも漉す必要があるんじゃなかろうか。それらを踏まえた塗り代を設けているのか。はたまた、塗り厚やヒビに振り回されない華麗な材配合や鏝技術により不要な工程なんだろうか。謎のまま施主施工が終わりそうな予感。お父さんの嫌な予感はそこそこ当たる。

 

泥濘(ぬかるみ)

 再度練習と実験施工。

 二ヶ所目。一ヶ所目に施した寒冷紗を残した状態で再度塗るが不調。

 三ヶ所目。泥砂藁水だけで挑むが、水を少な目にして実施。水を少なく、とは何と表現すれば良いだろうか。左官工の持つ鏝板の上のネタの映像を見た事があるだろうか。容易に見る事が出来るのは恐らくモルタルだと思う。ドロっとしていて泥団子を作るには柔らかすぎそうな具合。それより遥かに水が少ない状態。泥団子も容易。その分、非常に塗り難い。力任せにすると安物鏝だと板が反る。

 さぁ、どうだ、と数日後。二ヶ所目は良しとしても、三ヶ所目は粗い事は目を瞑ってもヒビがある。水少な目なのに何でやねん。

 

 ここで立ち止まってみる。

 練り直した土は既存壁から削り取った物。床に落ちたそれを、一定以上になれば都度集めて土嚢袋に入れていた物。土壁をガリガリ削ると、泥粒子と砂と藁が重力降下にて分別気味になる。それを無造作に回収。結果、土嚢袋によって配合差がありそうな。

 配合差の何が問題と思ったかと言うと、泥粒子が多過ぎるとヒビ割れ易くなると思っているからだ。非常に面倒だけども、全て土嚢袋から出してざっくり混ぜてみた上で再び練り直し。

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 そしての四か所目。だけどの不調。

 もう疲弊気味で混乱気味に至るお父さんは、却って水が少ない事が問題じゃないかと疑い始める。水が少ない事で各種材の混和や馴染み具合が不足、よってヒビが起こっているんじゃないかと。水を少し多めにして塗ると、それまでと違ってそれはそれは塗り易く、仕上がり具合の粗さは当然低減。ヒビも当然発生。

 

 想像出来るかなぁ、この間のお父さんの悲壮感を。

 今更本職に頼む選択肢があるとは思えず、これを自力で越えないと本施主施工自体が終えられない。不調具合に目を瞑る事で、如何にも素人施工な改修工事をした事を階段を通ったりリビングでくつろぐ度に耐えないといけない。あぁ、ゾッとする。先が見えない。

 そもそも、泥なんてヒビが入るもんだ。藁スサをつなぎとしてそれを抑える、という事は学術的に論じられている。左官職はヒビ無しを実現している。しかし、素人が一次的素材だけでどうにかするなんて無理なんだよ。そう、泥にヒビが入る事は自然の摂理なんだよ。

 

 と自暴自棄気味になっていた最中に改めて見た、保管用塊とした荒土。これ、二人はどう見るか。お父さんはハッとした。自分なりにそこそこ上手く書けた「荒」という字も、乾燥したらヒビ割れまくって読めなくなるな、と少し残念に思っていた。

 しかし、思いの外そうではない事に疑問を抱いた事で気が付いた。中塗土塊と同様、ヒビが全く入っていないのだ、粘土分が多い荒土なのに。泥と言えばヒビが入っているもんだ。水たまり跡もそうだし、田圃もそうだし、荒壁や大斑直し壁や下地中塗壁も。今までの人生経験では、左官職の手が入ったもの以外の泥土には全てヒビが入っていた。しかし、目の前のお父さんによる分厚い荒土塊にはヒビが無い。

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 ヒビは何故起こるのか。以前にも書いたが、材同士自体や下地との動きの差異による。逆に言うと、動きに差異が無ければヒビ割れない。石板上の厚さが10cm程はある荒土塊は、表面の乾燥硬化中に特段の阻害をされずに収縮したのだろう。

 

 知識としても経験としても知っているはずの事ながら改めて知らしめられる、泥は絶対ヒビ割れるわけではないという事を。物事が思い通りに進まない事で、冷静さが無くなり、視野狭窄になり、思考力が低下し、絶望する。世間でそんな人生の泥濘(ぬかるみ)に嵌まってしまう人は結構おられるようだ。

 流石にそこまででは無いものの、まさに文字通り泥によって泥濘に嵌まった。しかし、泥は必ずしもヒビらない。固まってカチカチになった荒土の泥塊により足元しっかり、再び立ち上がる事になった。

 

暗中模索号令

 ハナから妥協しない。ハナから高みを目指す。そう意気込んで始まった施主施工。漆で頓挫、精神的リハビリにようやく蹴りを付けられたその時に初の左官仕上げ工程。あぁ無理、はい無理。と言ってもいられない。湿式工法はこの先も続く。そもそも本職に頼まない選択をしたのはお父さん自身だし。

 

 既存仕上げ具合は目標にしつつ、広くて浅い人間にでも出来る事は考えてみる。この一環で梁束梁貫仕様にしておいた。左官面を広い面から狭い面にした事で施工速度は下がるが、平面塗りの難易度も下がる事で施工品質は上がる、はず。

 

 また、既存の施工法を真似る試みを行う。以前に触れた、中塗り直下に伏せ込まれていた藁をお母さんに段取りしてもらう。しかし、本来この藁は土に伏せ込むもののようで、中塗仕上げ土で留め付けるものではない。太い藁の為に中塗土が数cm厚になっちまう。で却下。

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 大本命は寒冷紗。やっぱりヒビ割れ防止のお供は寒冷紗だよ、とこれもお母さんに段取りしてもらっていた。

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 しかし、乾いた下地壁を濡らして押貼り付けてみてもひっつかない。よくよく考えてみると、既存寒冷紗は全面では無く部分的に使用されていた。そして、土種毎の境では無く中塗土の内部から発掘されていた。寒冷紗の上にも下にも中塗土なのだ。寒冷紗を伏せ込む為に仕上げ土を下付けして、その上に上付けして仕上げ。寒冷紗の為に厚塗りって本末転倒じゃなかろうか。

 で、お父さんの結論。寒冷紗は厚塗り部分のヒビ割れ防止に使われるものであり、ヒビ割れ発生境界厚以下には不要。

 

 では、境界厚とはどれほどか。お父さんの技量だと5㎜辺り。何故そうかと言えば、今までの下地塗りからの経験。

 お父さんは土壁の事を一から書いて来た。きょうこかりょうすけ、若しくはその子孫達に役立つ事があるのか、我ながら正直な所は懐疑的だった。下地壁の事は必要なのか。補修等の点から仕上面の方が有用な可能性があるんじゃないかと。

 しかしだ。少なくともお父さんにとっては下地造りの経験は多少活きている。素人施工での境界厚が5㎜だなんて記述は皆無だ。これも条件によるが、これ以下になると他の問題が起きるがそれはまた後述。何にせよ、補修等でいきなり仕上面を触る事になるのならば、今一度土壁の記述を読み返してみてはどうだろうか。その上で練習をしてみた方が良い、ほんとに。

 

 そんなお父さんも練習。所詮は左官に浅い人間だけど、それでもいきなりの本番を避けるぐらい知恵は得た。自分を奮い立たせていざ鏝を持つ。大袈裟に思うだろうか。誇張ではないんだけども。

 

 一ヶ所目。下地に3㎜強程度の中塗土を塗った上で帯状寒冷紗を上下二段にして伏せ込み実験、その上に3㎜以下を目指して中塗土を連続して塗る。

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 前述5㎜以下のこの3㎜という数字は限界、と言うよりも平滑面を目指した仕上塗では不可能な厚さ。それは小石の所為。中塗土内の小石が鏝に引き摺られ、塗った壁にどんどん溝線が引かれていく。それらに気を付けたり排除しても、新たな小石にすぐ当たる。奴らは大きさではなく、数が驚異だ。

 小石を動かしてしまえば、そこは線になるか穴になるかの違いだけ。それらの直しや小石排除をしながら塗っていくと、下地からの水引きにより土は見る間に固まり始める。

 

 そして乾燥後。近くで見ると何だか粗い。濡れている時には分からなかった小石穴が、乾燥して白っぽくなるとあそこもここもと見つかる。そこを埋めてみた後日、下から見ても直した跡が薄っすら分かる。

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 何よりもヒビが入っている。実験の為の寒冷紗が入っているはずの箇所にまで。頼りの寒冷紗が通用しない事には、大袈裟ではなく愕然とした。暗中模索の日々開始の号令が鳴りそうな予感。

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 いや、ここらは妥協して大目に見ようか。そんな逃げ思考が湧く。

 が、それを許してくれないのが階段の存在。天井高がある居室の小壁、というだけなら色んな言い訳も思い浮かぶ。だが、小壁が階段動線の真横となる箇所がある。目線にヒビ壁。有り得んだろ。いや、有り得るかも。有り得るよな。有ってもいいよな。いや、有り得んな。の繰り返しが約三日間。その後、やはりの号令により一ヶ所目練習箇所の削徐実施。

 

中塗り仕上げに don't stay tune

 ブランド着てるやつ もうGood night

 Mで待ってるやつ もうGood night

 頭だけ良いやつ もうGood night

 

 カッコええわと思う曲のサビの歌詞の一部。「もうGood night」は前後の歌詞から、「うんざりだ、もう寝てしまえよ」と解釈。この曲がラジオから流れて来たらラッキーで、施工中にだと作業の手が早くなる。しかし、直後に歌詞に手が止まる。

 

 広くて浅いやつ もうGood night

 

 「これ、俺の事じゃないのか」と、毎回毎回思ってしまう。伝統構法多工種施主施工。兎にも角にも広範囲な知識が求められたリ、はたまた嫌でも入って来る。だけど、所詮は素人仕事、一向に深まる事は無く次の工種に移っていく。この曲を聴くと、ふと焦燥感が漂ってしまう。

 貨幣経済の恩恵の一つ、自給自足社会から分業や専業を可能とした事。社会や文化、技術や科学等の高度化の実現とも言う。例えばお百姓さんが良質なお米を作って、税金という貨幣を仲介にして科学者等を支えた結果、今や小惑星探査が出来るようにまでなったんだな。お百姓さんも科学者も狭くたって深い人達。それに引き換えお父さんは、なんて思う事しばしば。

 

 分業専業化の恩恵は、自然素材を扱う時はより痛感する。

 以前、自然素材の定義についての疑義、と言うか屁理屈を書いてみた。あれは、屁理屈的で矛盾的で押しつけがましいような自然素材原理主義者に対したものだ。石油製品も元を正せば、と感覚的には思っていない。

 一次的な素材というのは「自然界にもそのままの状態である物」だ。二次的なものは、「自然界にそのままあるが加工する事で使える物」だな。鉄やガラスとかがそうだ。で三次的なのは、「自然界にはそのままでは存在しない物」と言えるんじゃないか。石油製品や化学薬品やらだな。こんな感じじゃないか。

 

 で次の工程は一次的素材のみ。通常は専業化した人により、あたかも一次的素材とは思えないような代物に仕立て上げる。そう、それは中塗土の仕上げ塗り。

 泥を使って建物を作る地域は日本以外にもある。どこかは忘れた、ユーラシアやアフリカ内陸部のどっかかな。しかし、それらの建物は日本の左官工によるものとはあまりに違う。明らかに「泥を塗りたくりましたが何か? 平滑とか美しさっているんですか?」という仕上がり。価値観や文化が違う。家族親戚でその地にある材で作るという住居の元祖感が強い。

 

 さて、お父さんの場合、教えてくれたご先祖やら叔父さんやら村の長老やらもいないので、そのような地域の人達よりも泥造詣が浅いかもしれない。勿論、技術を受け継ぎ磨いて来た左官職人もいない。広くて浅いお父さんが果たして、高度な日本左官技術にどこまで近づけるのか。

 そう考えてしまうと憂鬱。なかなか腰が上がらない。ただでさえ新しい工程には躊躇する。しかし、漆喰塗りに次いで難関と見る中塗土仕上げ塗りは、折角回復したやる気を漆の時のように損なわないか。そんな悲観的思考がお父さんをつきまとう。確か、古民家先輩が何かの新しい工程か材料かに挑む際、ワクワクすると書かれていたような記憶がある。見習いたいけど見習えないやつ もうGood night。