家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

なってみないと解らない。

 修繕程度や一年程度の短期ならまだしも、長期の素人施主施工では継続力が課題になる。これはお父さんぐらいなのかもしれないが、予想外だったと思う事度々。まぁ、こんな事を事前に考えておけるぐらいの立派な大人じゃなかったわけで。せいぜい数ヶ月先の施工の為に、荒土を寝かしておく事ぐらいまでしか頭が回らない次第。

 

 これって愚痴っぽく読めてしまっているのだろうか。そんなつもりは無い。想いだけで突っ走る、ましてや自分の先祖がやり遂げた物が眼前にある。お父さんでさえ躊躇した施主施工による大規模改修を、いとも簡単に実行してしまわないかと危惧する子孫への先祖心で書いている。

 度々書いている事だが、頑張ってこうやりましたよ、ってな施工日報的なものを目指さず、人生においての結構な割合の時間を投じる事になった本施工を手掛ける事の生々しさを少しでも伝えたい。現代の他人様の記録を読む限り、不特定多数の読み手にとってはくだらないこういう内容の物は見当たらない。なので、他人様任せは諦めて、羞恥心を捨てて書いている。そこらへん、くれぐれも誤解なく理解して欲しいのだ。

 

 さて、施工の記録に戻ろうか。と言っても、小壁の梁束梁貫板取付後はまたもや停滞。

 仕様の変更は突然という事もあって、寒い時期に亜麻仁油古色を使用。多分だけども、硬化反応は気温も影響するのではなかろうか。と言うのも、煮た亜麻仁油と言えどもなかなか硬化が遅い。暖かい時期の同じ物と比べてだ。前もっての仕様変更に出来ていれば、早くに手を打っていたのに。

 亜麻仁油古色が落ち着いてくれないと困る事。それは、左官が進められない事。水を掛けるわ泥が付くわ、で出来る事なら硬化してから行いたい。だけどそうではない。

 

 ならば、他の施工をすれば良い。だけどそうならないのが、やる気等々が低減中のお父さん。

 そう言えば、上方落語の重鎮の人が言っていた。若い時は、一日の内に複数の用事を全て終わらせようとしていた。だけど、高齢になった今は、まぁまぁええやん、でいっぺんに終わらせようという気が無い。一日に一つの用事を片付けられたら良し、という考えになった。

 こういう歳がいってからの話は、自分が若い時には「へぇ~、そんなもんかいな」程度のもの。中年真っ盛りになったら、こういう類の話が自身と重なったりして身に染みてきたりする。少なくともお父さんはそう。切替スイッチがイマイチ状態という事も重なり今のお父さんはそうだ。ちょこちょこ作業はやっても、他のがっつり施工をする気にならない。大規模施主施工を隠居後に開始されて完遂されるような方を本気で尊敬する。

 

 そういうわけで数日間、現場をブラブラする。油待ちでブラブラ。作業服に着替えてみても作業する気にならず、数時間で部屋着に着替える日もあったり。そんな事をしていても、内心は落ち着かない。施工を進める事への義務感と焦りが高まる。これ待ち。一定以上に達した所で小壁以外の施工をする決心にようやく至る。

 

長期施主施工は勧めない

 とここまで書いてようやく思い出した、もう一つの「き」。それは「動機」だわ。

 ちょっとした修繕から大規模改修、新築工事や再生工事。建築物に手を入れたり新たに設ける事を考えた場合、一般的にはそれらを手掛ける本職に依頼する事を真っ先に思い浮かぶ。それで事が成すのであれば、残り四つの「き」がどうとかこうとかの話は起こらないわな。至極当然な事柄なのに何故か忘れてたわ。

 

 施主施工に至る動機はお父さんが思うに、殆ど多くの人がまずは金銭じゃなかろうか。度々触れてきたが、まだ途中であり最終確定はまだ先ながら、本職請負工事としたらば本施主施工予算の三倍を要する見立て。瓦屋根の全面的葺き替えを加えていたら四倍。

 

 この数字は奇しくも、本施工より大規模かつ高難易度な古民家先輩の再生工事も同様じゃないかと見ている。彼は本職にも相当額の発注をしている。素人施主施工で完全に収める事が不可能な工種が複数ある。なので、単純比較は困難だが、完全請負工事で完璧を目指すならやはり彼の予算の四倍に到達するのではないか。請負をある程度に収めたとしても三倍か。ちなみに、元々の予算が我が家の倍の上での四倍や三倍である。これを銀行から借り入れられるのは年収二千万円級の人じゃなかろうか。

 在来工法の場合、この倍数は変わるのではなかろうか。本職工事においての人工代と建材等の割合が違ってくるからだ。しかも、一見の素人が調達する建材等は割高になるはず。それでも三倍程度の開きはあるかも。

 

 この一連の話を書いている事自体の動機は、素人が年単位の長期に渡る施主施工を行うという事が、お父さん含めて初めての経験だろうからだ。

 二人共がこの家のような伝統構法家屋を気に入ったとしても、引き継げるのは一人だけ。引き継げなかった一人が、新築出来る様な財力があったり、この家のような比較的良い状態で売られていてそのまま住むなら無用な話。但し、そうでない場合は全部、又は大部分を施主施工するしか選択肢が無いはず。それは、やってみないと分からない個人レベルでは大きな事である。

 

 お父さん自身がそうであり、数年経った途中段階だから思う事がある。今の所後悔自体はしていないが、諸々悩み等々がある。しかし、完成してからだとそれらを忘失して良い事しか書かないかもしれないので、敢えて途中の段階で言っておく。伝統構法家屋は勧める。それとセットになるかもしれない長期施主施工については特段勧めない。

 

 このままだと矛盾話なので補足する。伝統構法家屋を考えている時点で、人生における住居というものに対しての一定の考えは確立していると思う。その前提で述べる。

 お金と時間、それに人生経験がある人であっても断念するような事を、最低でも検討時ぐらいにはやり通す自信があるか。施主施工の金銭的価値がアルバイト代程度である恐れが高い事を承知しているか。しかも、本当のアルバイト代のような目に見える金銭ではなく自己満足感的価値であり、通帳の額面が増えないどころか減っていく事に耐えられるのか。在来工法と違い遅々として進まない現場で結果を逸らず、変化具合の低さや達成感を得るまでの手間暇の多さに萎えない自信があるか。等々を総じたつもりなのが前出の五つの「き」。

 

 消極的な事ばかり書くのも何なので、施主施工の良い所も書いておこう。

 住居に哲学を持っていようが無かろうが、兎にも角にもお金が付き物だ。煩わしさを極力背負い込まない為、一生賃貸という選択肢も有力。それにしても当然ながらお金が要る。住居はどんな形態であろうがそこは変わらん。これをコントロール出来る術が身に付くかもしれない。

 

 賃貸住居に住んでいる新婚時、水道のパッキンを交換したら高齢の大家から感心された。今時の若者はそういう事が出来ないと言い、それに若者だったお父さんは驚いた。今思うに、賃貸だから大家任せで良いと合理的に考えているのか、はたまた容易に交換出来る事を知らない無知かと思う。同作業を数千円からで駆けつけて行うという業者の宣伝がされている世ながら、自分ですれば数百円ぽっち。知らなくとも施主施工をするような人間なら調べて容易に出来る。

 このような事例を挙げるとキリがないが、施工費だけでなくその後の維持費の低減させる能力を嫌でも有するだろう。それだけでなく、それを生業とする人がいるような不具合の早期発見能力もある程度身に付く可能性が高い。早期発見は維持費の低減に直結だ。

 

 他にも、棚や家具が欲しいとか、もっと言うと書斎一室が欲しいとか思っても実現出来るかもしれない。住居本体や維持作業を購入する事しか知らない人なら予算問題で躓く所も、軽々と乗り越える人間になっているかもしれない。かく言うお父さんも、母屋等の生活の基本となる箇所の施工を終え、応用的な事を行いたくて仕方がないのだな。あぁ、後何年掛かるのかなぁ。

 

お金は必須、の思い込み?

 五つの「き」と書きながら四つしかない。一つ忘れたのよねぇ。忘れるぐらいだから大した話じゃないんだろうなぁ。もしかして、その忘れた「き」は「金銭」とか思っただろうか。

 

 これは施主施工に必須かと言われればそりゃそうだ。材料買いにガソリン代はいるわ、電動工具を動かすには電気代がいるわ、左官するのには上水代だけでなく下水代まで取られるわ。何なら、お父さんのエネルギー源の握り飯にもお金がいる。ただ、本職施工の場合は施主支給になる電気や水や、施主施工に関わらず必要なガソリンや米等を一々勘案しても仕方がない。

 そうは言っても、建材や道具を買うために金銭がいるじゃないか、という話になるかもしれない。勿論そうだ。しかし、一概にそうとは言えない感覚がある、この家のような場合だと。

 

 木材や左官材、それに石材。これらは解体材から使い回せる物がそこそこある。ここまでは本施工では普通。ここからさらにやる気があると、他の施工現場や解体現場で建材を貰ってくる事が出来そうに思う。以前にも書いたが、平成の世は伝統構法家屋は解体の一途。それでも保護してきた現所有者があの世に行けば、お父さん世代であろう相続人は売るか壊すか自然倒壊させるか。

 この近辺にもあの街中にも、タダで引き取られる可能性は幸か不幸かある。もし解体業者の下っ端金髪野郎が嫌な顔をしてもそれに耐えれば、例えば古瓦も手に入る。新建材ばかりの在来工法よりは、この家だと貰い物の建材が流用しやすいと思う。

 

 道具にしてもそうだ。しっかりした仕事をしようと思うのなら厳しいが、そうではない場合は金銭に頼らない方法があるのではないか。おやつ代程度の古道具を購入し、後は時間をかけて自分で仕込み直したり修理したり。それが出来れば、その道具を使う腕も向上しやすいのではないか。

 さらに金銭を使わないとなると無償で手にする方法があるかもしれない。施主施工者は、その施工を終えるといくつかの道具は持て余すかもしれない。それを無償で譲っていただく、若しくは借りるのだ。勿論、手弁当で施工の手伝いを大いにするのだ。さすれば勉強にもなるし仲間も出来る。そういう人がいれば、応援の意味でもお父さんは受け入れると思うのだ。

 

 人工提供の逆に、お金をあまり、或いは全く使わず人工を手にする方法もある。施工を体験させてあげる、手伝わせてあげるのだな。これを実行している施主は結構見受けられ、お父さんも何人かから勧められた事がある。

 これを単純には行えない。募集する側である施主の手間暇も要する。しかし、その労力や時間以上の金銭の節約が出来るかもしれない。考えてもみなさい、お父さんは会った事が無い人の現場へ1人工分程の手伝いをしに、本職の1人工代以上の費用を自腹で負担して赴いたのだ。それだけの価値を感じたからであり、飲食をご馳走になったのは却って恐縮したぐらいだ。お金の価値と言うのは、その人その人それぞれのもので絶対的ではないのだ。

 

 それらをするのは大変だ、となれば金で解決。どちらを取るか、どこまでするかの選択。寧ろ、お金で解決出来ない事が一番大変だったりもする。月並みながら要は、金銭は便利さや時間を得る為の道具であると。施主施工に必須かと問われると、お父さんは躊躇ってしまうんだなぁ。電気カンナは便利で早だろうがどうしても必須とは言えない道具、と同義、若しくは近似かなと。

 

五つの「き」

 唐突ながら語り事を書く。

 施主施工二件目とカウントしながらも、一件目はこの家の施工の前では霞む程度の代物。そして二件目のこの家は未だ途中。素人施主施工者の頂点に立つには程遠い。頂点とは何かは分からんが、そんな道半ばのお父さんながら施主施工に必要なものは何かと考えた。それは五つの「き」。

 

 まず一つ目は「器用さ」。

 誰が見ても本当の器用さじゃなくても良い。自分自身でそこそこレベルであっても思えるか、だ。自信と言い換えられる所もある。そう思えない人は施主施工どころか、柱に棚板を設置しようとも思わないかもしれない。

 ただ、自信過剰では痛い目を見る場合があると思う。真正の不器用者が自身を誤解してしまうと怪我や事故の元。そういう面である程度の器用さは必要だと思う。不器用が絶対ダメとは言わない。だが、器用さにより作業が早かったり、出来栄えが良かったりした方が、施工規模が大きければ大きいほど有利に働く。

 

 そして、上段にも関連する二つ目は「根気」。

 不器用が故、作業に時間が掛かったり自身の出来栄えに落胆しても、根気があれば挽回出来る可能性が出てくるかもしれない。慣れや経験が不器用さを補ってくれるかもしれない。普通規模の施主施工では実感しにくいだろうが。

 

 三つ目は「工期」。

 いくら器用で根気があっても、一年掛かる施工を半年でしないといけない等の状況では話にならない。特に現役世代だと、施主施工を思い付いたり検討する際に真っ先に挙がる課題であり、断念する最大要因だと思う。

 本職や家事が忙しいとかだけの自身や家族内の問題だけではない。本職施工よりも異様に長くなる工期で施工をしていると、ご近所の苦情等が発生する事がある。お父さんの一件目はこれが発生したし、探検さんもそのような事を言われていたと記憶している。本施工の場合、稼業と家庭環境それに立地環境からこの点は楽々クリアした特異な事例じゃなかろうか。

 

 四つ目は「やる気」。

 もうこれが無いと何事も始まらない。しかし、これが有ると器用さや根気や工期やイマイチ揃っていなくとも、何とか出来る可能性があると思う。

 古民家先輩曰く、引退世代の施主施工者で途中で断念した人はそこそこいるんじゃないかと。施主施工の経緯を書いたブログ更新が止まっている人が多いからとの事だ。ブログ継続は結構大変だから止めただけで施工まで止めるものだろうか、と言うお父さんに対し、更新停止だけではなくそう思うとの事。

 

 先輩の論は想像の域を超えてないかもしれないが、しかしながら、あながち外れてはいないかもしれないとも思う。

 先輩にとってもお父さんにとっても、別荘とかではない自宅を施主施工するという事、それは生活なのである。お百姓さんがお米を作ったり、営業マンが売上を立てたりして住居を維持する事と同じと思っている。先輩はお世辞にも良好住環境とは見えない高湿度官舎住まい、我が家は無理矢理寝床にした不便な門屋暮らし。そこを脱出する事は当たり前であり、借金して買った家を完成させないととんでもなく面倒で厄介で負担な物になる。

 

 一方、定年退職をしてから施主施工を行うような方は、恐らく長年住まれた住居は確保されている。日本の歴史上類を見ない程に恵まれていたのに、子世代や孫世代に負を押し付けたまま勝ち逃げしそうな団塊世代が、盲目的に貯め込んだ多額の蓄えの一部で購入した家屋。もう言いたい事は分かるよな。そう、してもしなくても目先の生活基盤は脅かされない。

 こうなると、人によっては逃げの気持ちが生まれかねない。田舎暮らしを憧れて移住したのに挫折、都会に舞い戻る定年退職者はそこそこ多いと聞く。この手の類だろうな。お父さんより遥かに年長なのに、夢や憧れだけで動くとは流石は団塊世代だな。

 

 と、団塊世代に対して腹に持っているものがあるからと言って結構な辛口批判を書いたが、別に二人のおばあちゃんを含めた個々人を憎しとしているとかではないぞ。

 普通に考えれば団塊がどうとかではなく、歳を取れば仕方がないと思う面がある。施工なんて事をした事が無い人が60代以降に始めるとかは、30代や40代がやるのとは違って相当大変だと思う。一般的に有利なのは工期ぐらいじゃないかね。

 しかし、それでは不足だ。五つの「き」があった上で背水の陣で臨まんといかんだろうな。家を新築されたり施主施工される引退世代の中には、大学の建築学科や大工の専門学校に通われる方がおられた。やっぱり世代とかじゃなく人だね。偉そうに言うお父さんだが、そういう方達の足元に到底及ばない。

 そういう凄いやる気の持ち主は特別だとして一般的には、若い内に既に何かしらやっておく方が良い事が多いかと思う。施工でもそうだし、投資でも田舎暮らしでも狩猟でも農業でもね。

 

足場資材が欲しい

 もういい加減に高所作業は嫌だ。お母さんならずとしても高所作業が続くとそう思う。今から考えると、足場材を幾つか購入していても良かったかもしれない。施工が進む程、使用箇所が減ってコストパフォーマンスが減っていく。どうしよう、現段階で真剣に検討してみようかなぁ。

 

 と思う高所作業がまだ続く。美装作業の後半、塗装工程。清掃以上に面倒。

 先に触れたが、基本的に既存塗装部は柿渋古色。さらに、昨今の配合色とは違う初期色。日が当たりにくい天井部を基にした色は、元々のこの家にある色よりも濃くなっている。イマイチだな。

 この柿渋古色部に煮亜麻仁油を上塗りする。柿渋古色を止めた理由であるマット感を抑える為だ。それにだ。今回の清掃で改めて思ったが、柿渋古色に水拭きはイカン。古色が取れてしまいムラが出兼ねない。既存古色は柿渋古色では無いのではないか、として亜麻仁油古色を試みたわけだが、やはり推理は正解だったと自信を深めた。

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 一応、木材自身の油により柿渋古色でも油膜が出来たのかも、という可能性はまだ持っている。しかしだ。やはり柿渋古色を乗り越えて表に木油が綺麗に一面に出てきたとは思い難い。普通に考えれば、既存木部は古色塗布時にか後にか油分を施されたと思う状態である。

 一体何故、柿渋古色が唯一解のようにインターネット上で謳われているのだろうか。謎でしかない。美しさを求める所は尚更だが、絶対亜麻仁油古色が良いに決まってるじゃん。現代の柿渋と亜麻仁油の価格差を考えても割が良い。お父さんのような費用と手間を無駄にする人が今後は減るように、柿渋販売業者のプロパガンダに亜麻仁油等販売業者の方々には負けずに励んで頂きたい。

 

 そんな亜麻仁油心棒者のお父さんは、将来の清掃に備えても油膜を施しておきたい。古色にしないのは、さらに色が濃くなる事を避ける為と単に顔料が勿体ないからだ。

 

 素の亜麻仁油だけでは無い。木素地状態である、竿縁天井撤去による埋め木、並びに長押を新たに亜麻仁油古色を塗布。また、清掃により柿渋古色が薄まった箇所や、既存部で色が合わない箇所等にも追加的塗布を施す。木素地部には二回塗りを施す。日を少し置いたその後、亜麻仁油亜麻仁油古色部をカラ拭き。ここまでで3人工程を要しただろうか。

 そして、梁束梁貫板材を設置。この仕様に変更した事で、一体何人工を追加したのだろうか。このお蔭で中塗土仕上の不具合が出ない事になれば良しだが、お陰かどうか分からないのが一番良しなんだな。

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                 ↓

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 ところで、特に亜麻仁油ではそうだが、ちょっとした箇所の古色塗布には古靴下を用いている。ホームセンター商品だからか施工者の腕前が悪いのか、粘度が弱い亜麻仁油亜麻仁油古色は、高所を刷毛にて塗布すると他の予期せぬ所に滴り落として面倒な事になり兼ねないのだ。

 作業用靴下から出る古靴下は、安物を買っている所為なのか徐々に増えていく。それが特に塗装作業だと重宝する道具になる。雑巾だとこうはいかない。雑巾はまずデカ過ぎる。さらに、そこらに売っている購入品の雑巾は、これまた安物を買っている所為なのか、尋常じゃないぐらいすぐにボロボロになる。勝手に想像するに、漂白の為とかで繊維に良くない薬品を使っているんじゃなかろうか。雑巾と言えばやはり古タオルを縫った物が良いのだが、先述通りに塗装では意外に使い勝手が劣り、そもそも勿体ないし。

 

 こんな細かい話を書くのは、塗装作業は最も施主施工に適した工種であり、二人や子孫が行う可能性が高いと考えているからだ。又は、せざるを得ないだろうからだ。そこらの塗装業者に依頼しても対応してくれないかもしれない。若しくは、対応させる為に結局は施主が奮闘しなければいけず、それなら自分でやった方が得だと考えるかもしれない。

 

 大人を動かすのにはお金が掛かるもんだ。塗装施工者にたとえ半人工だけ仕事をしてもうとかでも通常は万円単位を要する。その人が古色に精通しているようならお値打ち感があるかもしれない。しかし、多分そんな粋な人は容易に見つからない。お父さんの手記を踏まえて大したことが無いのだと説得したとしても、知らない材量で施工をする事に後向きな施工者は多い。そういう人を説得する労力は負担で結構面倒だし、施工責任は負ってくれない可能性も心得ておく必要があるだろう。一方で、無責任な施工者が安易に引き受けて問題になる事がままある。この手の事は一様ではない。

 そんな当たり外れがあるややこしい事に悩むぐらいならば、ちょっとの材料費で休日に家族で頑張って塗る方が、経済的にも精神的にも余程健康的。一から施す状況でないからお母さんのように大変でもなく、そもそも口うるさいお父さんはいない。難易度は高くないし、材量は多少口に入っても良しな安全な物で、匂いは焼魚っぽいだけで我慢の許容範囲内でしょ。さぁ、どうよどうよ。

 と考えると、金属製かの足場を買っておいても良いような気がしてきたなぁ。