家屋伝承

我が子たちに伝えておきたい、伝統構法の我が家のこと。

五つの「き」

 唐突ながら語り事を書く。

 施主施工二件目とカウントしながらも、一件目はこの家の施工の前では霞む程度の代物。そして二件目のこの家は未だ途中。素人施主施工者の頂点に立つには程遠い。頂点とは何かは分からんが、そんな道半ばのお父さんながら施主施工に必要なものは何かと考えた。それは五つの「き」。

 

 まず一つ目は「器用さ」。

 誰が見ても本当の器用さじゃなくても良い。自分自身でそこそこレベルであっても思えるか、だ。自信と言い換えられる所もある。そう思えない人は施主施工どころか、柱に棚板を設置しようとも思わないかもしれない。

 ただ、自信過剰では痛い目を見る場合があると思う。真正の不器用者が自身を誤解してしまうと怪我や事故の元。そういう面である程度の器用さは必要だと思う。不器用が絶対ダメとは言わない。だが、器用さにより作業が早かったり、出来栄えが良かったりした方が、施工規模が大きければ大きいほど有利に働く。

 

 そして、上段にも関連する二つ目は「根気」。

 不器用が故、作業に時間が掛かったり自身の出来栄えに落胆しても、根気があれば挽回出来る可能性が出てくるかもしれない。慣れや経験が不器用さを補ってくれるかもしれない。普通規模の施主施工では実感しにくいだろうが。

 

 三つ目は「工期」。

 いくら器用で根気があっても、一年掛かる施工を半年でしないといけない等の状況では話にならない。特に現役世代だと、施主施工を思い付いたり検討する際に真っ先に挙がる課題であり、断念する最大要因だと思う。

 本職や家事が忙しいとかだけの自身や家族内の問題だけではない。本職施工よりも異様に長くなる工期で施工をしていると、ご近所の苦情等が発生する事がある。お父さんの一件目はこれが発生したし、探検さんもそのような事を言われていたと記憶している。本施工の場合、稼業と家庭環境それに立地環境からこの点は楽々クリアした特異な事例じゃなかろうか。

 

 四つ目は「やる気」。

 もうこれが無いと何事も始まらない。しかし、これが有ると器用さや根気や工期やイマイチ揃っていなくとも、何とか出来る可能性があると思う。

 古民家先輩曰く、引退世代の施主施工者で途中で断念した人はそこそこいるんじゃないかと。施主施工の経緯を書いたブログ更新が止まっている人が多いからとの事だ。ブログ継続は結構大変だから止めただけで施工まで止めるものだろうか、と言うお父さんに対し、更新停止だけではなくそう思うとの事。

 

 先輩の論は想像の域を超えてないかもしれないが、しかしながら、あながち外れてはいないかもしれないとも思う。

 先輩にとってもお父さんにとっても、別荘とかではない自宅を施主施工するという事、それは生活なのである。お百姓さんがお米を作ったり、営業マンが売上を立てたりして住居を維持する事と同じと思っている。先輩はお世辞にも良好住環境とは見えない高湿度官舎住まい、我が家は無理矢理寝床にした不便な門屋暮らし。そこを脱出する事は当たり前であり、借金して買った家を完成させないととんでもなく面倒で厄介で負担な物になる。

 

 一方、定年退職をしてから施主施工を行うような方は、恐らく長年住まれた住居は確保されている。日本の歴史上類を見ない程に恵まれていたのに、子世代や孫世代に負を押し付けたまま勝ち逃げしそうな団塊世代が、盲目的に貯め込んだ多額の蓄えの一部で購入した家屋。もう言いたい事は分かるよな。そう、してもしなくても目先の生活基盤は脅かされない。

 こうなると、人によっては逃げの気持ちが生まれかねない。田舎暮らしを憧れて移住したのに挫折、都会に舞い戻る定年退職者はそこそこ多いと聞く。この手の類だろうな。お父さんより遥かに年長なのに、夢や憧れだけで動くとは流石は団塊世代だな。

 

 と、団塊世代に対して腹に持っているものがあるからと言って結構な辛口批判を書いたが、別に二人のおばあちゃんを含めた個々人を憎しとしているとかではないぞ。

 普通に考えれば団塊がどうとかではなく、歳を取れば仕方がないと思う面がある。施工なんて事をした事が無い人が60代以降に始めるとかは、30代や40代がやるのとは違って相当大変だと思う。一般的に有利なのは工期ぐらいじゃないかね。

 しかし、それでは不足だ。五つの「き」があった上で背水の陣で臨まんといかんだろうな。家を新築されたり施主施工される引退世代の中には、大学の建築学科や大工の専門学校に通われる方がおられた。やっぱり世代とかじゃなく人だね。偉そうに言うお父さんだが、そういう方達の足元に到底及ばない。

 そういう凄いやる気の持ち主は特別だとして一般的には、若い内に既に何かしらやっておく方が良い事が多いかと思う。施工でもそうだし、投資でも田舎暮らしでも狩猟でも農業でもね。

 

足場資材が欲しい

 もういい加減に高所作業は嫌だ。お母さんならずとしても高所作業が続くとそう思う。今から考えると、足場材を幾つか購入していても良かったかもしれない。施工が進む程、使用箇所が減ってコストパフォーマンスが減っていく。どうしよう、現段階で真剣に検討してみようかなぁ。

 

 と思う高所作業がまだ続く。美装作業の後半、塗装工程。清掃以上に面倒。

 先に触れたが、基本的に既存塗装部は柿渋古色。さらに、昨今の配合色とは違う初期色。日が当たりにくい天井部を基にした色は、元々のこの家にある色よりも濃くなっている。イマイチだな。

 この柿渋古色部に煮亜麻仁油を上塗りする。柿渋古色を止めた理由であるマット感を抑える為だ。それにだ。今回の清掃で改めて思ったが、柿渋古色に水拭きはイカン。古色が取れてしまいムラが出兼ねない。既存古色は柿渋古色では無いのではないか、として亜麻仁油古色を試みたわけだが、やはり推理は正解だったと自信を深めた。

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 一応、木材自身の油により柿渋古色でも油膜が出来たのかも、という可能性はまだ持っている。しかしだ。やはり柿渋古色を乗り越えて表に木油が綺麗に一面に出てきたとは思い難い。普通に考えれば、既存木部は古色塗布時にか後にか油分を施されたと思う状態である。

 一体何故、柿渋古色が唯一解のようにインターネット上で謳われているのだろうか。謎でしかない。美しさを求める所は尚更だが、絶対亜麻仁油古色が良いに決まってるじゃん。現代の柿渋と亜麻仁油の価格差を考えても割が良い。お父さんのような費用と手間を無駄にする人が今後は減るように、柿渋販売業者のプロパガンダに亜麻仁油等販売業者の方々には負けずに励んで頂きたい。

 

 そんな亜麻仁油心棒者のお父さんは、将来の清掃に備えても油膜を施しておきたい。古色にしないのは、さらに色が濃くなる事を避ける為と単に顔料が勿体ないからだ。

 

 素の亜麻仁油だけでは無い。木素地状態である、竿縁天井撤去による埋め木、並びに長押を新たに亜麻仁油古色を塗布。また、清掃により柿渋古色が薄まった箇所や、既存部で色が合わない箇所等にも追加的塗布を施す。木素地部には二回塗りを施す。日を少し置いたその後、亜麻仁油亜麻仁油古色部をカラ拭き。ここまでで3人工程を要しただろうか。

 そして、梁束梁貫板材を設置。この仕様に変更した事で、一体何人工を追加したのだろうか。このお蔭で中塗土仕上の不具合が出ない事になれば良しだが、お陰かどうか分からないのが一番良しなんだな。

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 ところで、特に亜麻仁油ではそうだが、ちょっとした箇所の古色塗布には古靴下を用いている。ホームセンター商品だからか施工者の腕前が悪いのか、粘度が弱い亜麻仁油亜麻仁油古色は、高所を刷毛にて塗布すると他の予期せぬ所に滴り落として面倒な事になり兼ねないのだ。

 作業用靴下から出る古靴下は、安物を買っている所為なのか徐々に増えていく。それが特に塗装作業だと重宝する道具になる。雑巾だとこうはいかない。雑巾はまずデカ過ぎる。さらに、そこらに売っている購入品の雑巾は、これまた安物を買っている所為なのか、尋常じゃないぐらいすぐにボロボロになる。勝手に想像するに、漂白の為とかで繊維に良くない薬品を使っているんじゃなかろうか。雑巾と言えばやはり古タオルを縫った物が良いのだが、先述通りに塗装では意外に使い勝手が劣り、そもそも勿体ないし。

 

 こんな細かい話を書くのは、塗装作業は最も施主施工に適した工種であり、二人や子孫が行う可能性が高いと考えているからだ。又は、せざるを得ないだろうからだ。そこらの塗装業者に依頼しても対応してくれないかもしれない。若しくは、対応させる為に結局は施主が奮闘しなければいけず、それなら自分でやった方が得だと考えるかもしれない。

 

 大人を動かすのにはお金が掛かるもんだ。塗装施工者にたとえ半人工だけ仕事をしてもうとかでも通常は万円単位を要する。その人が古色に精通しているようならお値打ち感があるかもしれない。しかし、多分そんな粋な人は容易に見つからない。お父さんの手記を踏まえて大したことが無いのだと説得したとしても、知らない材量で施工をする事に後向きな施工者は多い。そういう人を説得する労力は負担で結構面倒だし、施工責任は負ってくれない可能性も心得ておく必要があるだろう。一方で、無責任な施工者が安易に引き受けて問題になる事がままある。この手の事は一様ではない。

 そんな当たり外れがあるややこしい事に悩むぐらいならば、ちょっとの材料費で休日に家族で頑張って塗る方が、経済的にも精神的にも余程健康的。一から施す状況でないからお母さんのように大変でもなく、そもそも口うるさいお父さんはいない。難易度は高くないし、材量は多少口に入っても良しな安全な物で、匂いは焼魚っぽいだけで我慢の許容範囲内でしょ。さぁ、どうよどうよ。

 と考えると、金属製かの足場を買っておいても良いような気がしてきたなぁ。

 

他言無用

 梁束梁貫板材加工と平行して行っていたのが、当該施工場所の美装作業。要は清掃。

 今までや今回の土壁削りの施工等で見事に砂埃が堆積。中塗仕上施工による中塗土が接する木部は、先行して綺麗にしておかないと後に非常に面倒になる。なので、そこそこ面倒な前作業をやっておく。脚立に跨り土壁削りをしていたお母さんが、引き続き雑巾等を持っての高所作業。

                     

 我らがお母さんは視力矯正者。二人が大人になった時には無くなっているんじゃないかと思ったりする、コンタクトレンズという物を若い時から着けていた。これは、眼球に直接、視力矯正効果があるビニールみたいなものを涙にて貼り付ける代物。眼鏡はダサい、コンタクトレンズがオシャレ、という風潮が平成の初期から中期時代にあったかな。

 しかし、若かりしながらもお父さんは止めるように提案。流行りに乗っておく姿勢自体がダサい。皆が皆コンタクトレンズを付けているのだから、却って眼鏡が洒落ているのではないか。それ以上に、何十年も付け続けた事例が無い身体に悪そうな物を付けてどうなのか。付けたまま寝てしまうのが良くないらしいのに、それをよくやるズボラなお母さんなら尚更。

 コンタクトレンズは化粧等の面で都合が良いと抵抗しつつも、自身が扱いに面倒を感じていた事等が後押しになりお父さんのコーディネイトにて眼鏡に切り替えた。その後の現在、眼鏡に戻して良かったと肌身離さず。さらには、世間の眼鏡の地位も以前より向上。

 今思うと住宅や建材への考え方にも同じ事が言える。当時のお父さんからして伝統構法家屋を選ぶべくして選んだのかと思う。そして、昨今の一部の住宅に関する動きを都合良く解釈し、秘かに自分は先見性があるんじゃないかと思ったりする。こんな事は他言無用だが。

 

 さて、お母さんの清掃能力について。これも他言無用だがどちらかと言うと低い方だ。眼鏡による視力矯正なので死角が出来ているのか、と思い込ませようとしてみたが無理。眼鏡を使う人皆が雑な清掃をするのかと言えば絶対違うからだ。雑な性格から来るものとしか思えない。小学生の時の教室掃除も率先してサボっていたんだろうなぁ。教師が厳しく怒ったら逆に文句を言いに学校に押しかけそうなおばあちゃんに育てられたから、実家でも掃除手伝いをさせられてなかったんだろうなぁ。不思議なのが、自分の清掃不足だと目に入らないのに他者のそれはとてもよく見つける。

 

 どこまでを、どのレベルまで掃除しないといけないか、といつも通りに中身の説明を100%行っている。しかし、一体何を聞いていたのかと嘆き叫ぶ結果となるのもいつも通り。多分平均的に教室掃除をし、実家ではたまにやらされ、アルバイト先の飲食店で水と雑巾と素手により便器等を清掃する事の意義について学んだ、本施工において親方であり主体施工者のお父さんが、他作業を止めて手元でも出来る清掃をやり直す。

 

 世間様は夫婦で施主施工となると、概ね良い風に反応してくれる。仲が良いとかとか。お父さんもそれを期待していて努めようと思ったが、実体はそんな素敵な光景は現場に無い。

 例えば、夫婦で小さな食堂とかを営んでたとしてもそう思われがちかもしれない。しかし、今のお父さんの場合は斜に見てしまう。ブログ等で我が家のように夫婦で施主施工をされている方で、まぁ何とも仲良し夫婦っぽい記述に満ち溢れていても同様だ。きっと知らない所では色々あるんだろうって。世間体を考えず正直を心掛け、恥ずかしい所も子孫に書き残そうと方針を決めてしまっている。そうで無いなら好き好んで我が子達に向けた文章でこんな事は書かん。そんな親父はどうかしている。

 

 自己弁護をする。

 駄目な所等について書き連ねる事は、それに怒りを伴っている場合は勢いもあってスラスラ書けるしスッキリする事がある。しかし、そうでない場合は、他者の事だろうが自分の事だろうが結構しんどいものだと、その方針の基でのこの手記で初めて知った。

 片や、良い所ばかりとか当り障りのない事ばかり書くのは楽だとも。どうもこれは人に依る間隔っぽい。世間には、自分に何ら損害を与えていない全くの赤の他人に対して、罵詈雑言を垂れ流す事に勤しむ人が居るようだからだ。社会正義のつもりか自己の快楽の為なのか、お父さんにはよく分からん。

 そういう心情の上で、顔を直接見ることが無く人柄を知らないだろう子孫に向けて、現場の空気感も含めて現在のお父さん達の事を伝えようとして書いている。そういう事なので、お父さんとお母さんは相当仲が悪かったのかと解釈する必要は無い。少なくともお父さんはそう思っている。何か事を行う時にぶつかる事態は多いかと思うが、何とかかんとかやっている。それに、お母さんは雑な所があるがその反面はおおらかな所もある、と読み替えると長所が見えてくると思う。文章のまま受け取っても実体はそうでもない、何てことは古今東西の世に溢れている。

 

 まぁ、たまにはお母さんを弁護するなら、この清掃作業は確かに大変ではありお母さんの分も含めると3人工弱も要している。

 効率が悪い遣り方をお母さんがしていた点はある。だが、足場を組んでいない高所作業というのは、それだけで結構手間を喰うもんだ。その上で、竿縁天井撤去後に新たに塗ったリビング天井板や丸太梁等は柿渋古色である。水拭きすると、固まった柿渋古色でも容易に取れてしまうのだ。その為、直ぐに雑巾が汚れる事で、直ぐに脚立から降りる破目になるという具合。

 更に、日が直接当たらず暗い天井板を、脚立上にて身体を反って見上げながらの雑巾掛け。ホワイトカラーの中年女性にとってはなかなかの肉体労働のようで、見落としや手抜きは分からんでもない所は少しはあるけどもね。

 だけども、「良く頑張ったね」と簡単には言ってはいけないような気がしてならんのだなぁ。他言無用だが、お母さんは他者の程度が高くない仕事ぶりを褒めないし労わない厳しさがあるからだなぁ。似た者夫婦かも。

 

不安定施工

 板の加工工程の次は仕上工程へ。要は古色塗装。

 

 まずはヤスリ掛け。いつもの120番からの240番の二回掛け。広い面は特に問題無い。ギリギリ見えるかという木端部は、ベルトサンダーではちと面倒。なので、何枚も重ねて木端部を広くして。

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 そう思いきやここで板加工精度の問題にぶつかる。重ねると全ての板巾寸が同一でない為、凸凹しているんだなぁ。そんな状態で重ねても、ヤスリが当たらない所が出てしまい却って面倒。よって、ベルトサンダーをひっくり返して一枚一枚掛けていく。結果、全ヤスリ工程に1.5人工強も要す。33枚あったので一枚当たり平均20分か。うむぅ。

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 この加工寸法精度問題はストレス。頭を悩ませる事がたまにあるのだ。ソーテーブルの組立精度によるものか、加工材の反り等が反映されてしまっているのが、実の所確定出来ていない。それでも大きな問題にはなってなさそうで、今回のように手間を掛ければ対応出来るので放置している。いや、お手上げ感が強いかな。対応しようと何回か改造や調整に挑んだり、切断作業前に加工材の反り等の状態を確認したりとしている。しかし、大量加工材の寸法が均一にならないんだなぁ。これ、家具造作時に更に面倒になりそうだ。

 

 面倒と言えば、1人工程を要した古色塗装。これも安定しない。

 顔料を増やすと、いくら亜麻仁油古色と言えばマット感が強まる。そもそも余剰となり顔料材が勿体ない。そこで顔料を減らす。そうなると鉋掛けしたヒノキ材は特にだが、まぁ、色が乗らない。色の乗り加減は柿渋の方が良かったように思う。ヤスリ掛けのスギであっても、皆同じようには色が乗ってくれない。同じスギであっても違ったりするのだ。

f:id:kaokudensyou:20170226181434j:plain←鉋仕上げのヒノキ材への塗布一回目

 

 そういう色ムラ問題の事もあり、煮亜麻仁油古色であっても二度塗りが基本となっている。その前提で、現在の梁束梁貫板材への調合割合は、煮亜麻仁油120gに対して、黒顔料34g、赤顔料21gとしている。この割合も今後も引き続き微調整していくかもしれない。

 

 この配合、古色塗装工程のある時期に適当でいいのかと思った事が有る。それは古民家先輩、正確に言うと彼の現場に入っていた大工職による。

 彼に古色配合について尋ると、その大工職はインスタントコーヒーの瓶の蓋に何杯、といった具合に顔料を混ぜているとの事。お母さんやおじいちゃん建築士と同じ人種の方なんだろう。とは言え、確かに昔の本職が匁とかの単位で一々量っていなかったかもしれない。

 で、ある時期に大体の感じでやってみた。しかし、どうも色が安定しないと感じたのだ。原因はそのざっくり配合なのか、柿渋と違って亜麻仁油は顔料色による影響度が強いとかがあるのか、先述のように材違いによるものがたまたまあったのか。いずれにしても、正確に計量する事が一番無難には間違いないので、引き続きグラム単位の格闘をしていく予定。

 

施工内容よりも注意事項なのだ

 板材が出来上がった。本職や一般的施主施工者は多分ここからスタートしている。キャリア試験に合格した官僚も一足飛びの階級でスタートするらしい。ノンキャリアのようにほぼ底辺からスタートするお父さん。人工を惜しんでお金を惜しまない本職や一般的施主施工者と比べ、2人工強の差を付けられている。しかしだ。官僚は事務次官になる為にはキャリアスタートが必須だが、施主施工ではノンキャリスタートでも事務次官になれる可能性がある。スタートの遅れは結果に関係無いのだ。

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 と、いつも通りに余念無く無理矢理な自己暗示を行い施工を開始。

 板材の配置は既存の梁束梁貫仕様に準じる。それは、居室の東西南北の小壁をそれぞれ独立的に捉え、各小壁内にて均等割りに配置しているという事。これを踏まえて材の寸法切り、配置位置確定による隠しビス取付。さらに、板材の木口側へのビス頭引っ掛かり加工を実施。この時点で4人工程だったかな。これらの作業にて板材の仮設置が可能となる。次はビスの出調整。これだけで1人工。

 

 そして、化粧柱と兼ね合う木口の調整。角材である柱や梁は隠しビスが良く効く。ビス頭と既存角材に取付板が挟まっているのだ。しかし、化粧柱は平面では無いのであまり効かない。極力、板材木口が化粧柱に接するように鑿で削り調整する。6枚だけながらこれだけで半人工程を要する。

 それでも、この箇所は固定維持不安がある。梁束取り合い側の接着剤とこの後の中塗土により固定具合が強まると踏んでいる。逆に言うと、これが無いと容易に落下する状態。ましてや階段動線に接する箇所だ。多少の固定具合では接触のはずみで取れないか。以降の工程で確認、必要であれば対策を講じる。

 しかし、何にせよ釘やらビスを付けて物を掛けられるようにする等の愚行は止めて欲しい。引っ張り力を掛けられるようにする行為であり、単に邪魔だし見た目も良く無いし。注意事項として一応記載しておく。

 

 さて、これら作業により梁貫板材は大体出来上がり。次は梁束板材。

 同材は、二枚の梁貫板材の隙間を隠し一枚物っぽく見せる。そして、隠しビス細工の反対側端部を支持する材ともなる。その箇所を相欠きしようかと思ったが、目線に無いのがほとんどの材でそこまでのレベルは不要。梁束板材側だけを切り欠いた。この梁束板材の切り欠き加工関連で半人工強だったかな。

 これにて仮付してみて良さそうなので本工程終了、はい以上。梁束梁貫仕様にしなければ不要だった総じて多分7人工強も要したにも関わらず、相変わらず施工記述は簡単に終える。

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 それよりも一応の注意事項をもう一つ。リビング西側の化粧柱に対して右側の小壁の梁束板材の設置法について。

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 当材の上部は丸太梁と取り合うので隠しビスにて固定。一方、下部は長押の裏側の奥の変な所となり、隠しビス等金物を使える相手がいなかった。と言う事で、長押裏詰め込み土にて固定する苦肉の策を採用。しかし、きっと隠しビス等よりも強力でガチガチに固定出来ると思っている。固まった泥はとても硬いから。という事でもし撤去をする場合は、隠しビスによる上部の固定を上手く解ければすっぽ抜く事が出来るかもしれないが、そうでなければ板周囲の泥土を砕く方法になるかと思う。

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